OB ASOCIATION
《はじめに〜編集始記》
ラグビー班OBチームがラグビーの聖地・花園ラグビー場で初めて開催された「マスターズ花園2022」に出場した軌跡を「メモリアルブック」としてまとめました。2023今春のZRFC新入部員増を切に願い、新入生へ向けたOBやOGらのメッセージも集め作成しました。
マスターズ花園は「マスターズ甲子園」のラグビー版として2022年が初開催となり、花園全国大会出場歴がある枠から膳所(1987、1997、2002と過去3回出場)が近畿滋賀代表として選ばれ、91~40歳のメンバーが勇を鼓して出場。聖地・花園ラグビー場第1グラウンドにて2022年10月9日(日)13:30キックオフで行われた試合の対戦相手は、「全国大会花園で歴代最多出場&最多優勝」を誇る秋田工業ラグビー部のOBチーム――。膳所OBチームも精いっぱい力の限りを尽くして戦い、随所に見せ場もありましたが0-34でノーサイドとなりました。
今回マスターズ花園出場に至った経緯は以下の通りでした。
「スクール☆ウォーズ」などラグビー人気にも支えられ1980半ば〜1990年頃には60人超の部員がいたラグビー班も、昨今のコロナ禍の向かい風を受ける形で、2022年9月時点での部員は19人(うち女子マネージャー2人。※2023年4月時点で新2年生が2人増え男子部員16人に)。部員不足でフォワード8人同士のスクラム練習や15対15の実戦練習も母校グラウンドで日々ままならない苦しい状況ですが、iPS細胞研究における第一人者であり、ご自身もラガーマンでラグビーを深く愛されている山中伸弥教授(京都大学)にOBが取材し熱きメッセージを動画で語ってもらうコンテンツを本ホームページに掲載し、「コロナを理由にラグビーをやらないのは、もったいな過ぎる」などと新入生へのアピールを応援し続けてきました。
「OBとして現役チームに何か出来ることはないか」。そう考えていた矢先の2022年6月にマスターズ花園の開催を知り、OB有志で「Z」ジャージの腕赤3本線が意味する《情熱・友情・勇気&希望》をテーマに、
①大会で怪我なくラグビーを楽しみシニア時代一番の体験としてOBの≪勇気≫を現役チームに伝える
②「3密極致」のラグビーでコロナを寄り切り、世代を越えた繋がりを確かめ取り戻す≪友情≫の貴さを現役チームに伝える
③現役チームや保護者・受験生を含む膳所高ラグビーの未来に向け、部員増に繋げるべくOBの≪情熱・希望≫を伝える
――ため、現役チーム「Z」ジャージを身につけ頑張ろう、という結論に達しました。
要は、コロナ影響余波で部員減に苦しむ現役チームを勇気づけ、2023年今春の新入部員増に弾みつけるためにも「3密」ラグビーでコロナを寄り切り、「ラグビーで培って得た《3密》は、オッサンになっても一生モノの貴い繋がりになり青春は取り戻せる」ことを証明しよう――という決意・実行でした。
また、傷ついた「Z」マークのイメージ回復も壮大に目指に掲げつつ、現役チームを鼓舞するため、OBチーム一同、ラグビー憲章「品位・情熱・結束・規律・尊重」の精神・姿勢を順守し、2022年9月以降は毎週末、母校グラウンドなどで現役チームとも合同練習を重ね、リスペクトする秋田工業OBチームに全集中で挑みました。(※上の写真は、2022年9月3日に母校グラウンドでOBと現役チームで初の合同練習後、2003年卒で花園3回目出場時9番・永渕浩一さん差し入れの勤務先主力商品「チオビタ・ドリンク」で乾杯、OBはマスターズ花園へ、現役チームは花園予選へ向け、互いにエールを交わし英気を養った際の撮影。何より、母校グラウンドから久々に見る空や雲は美しく、琵琶湖の水の匂いも感じるようで、懐かしい母校で流す汗、世代を越えた仲間とボールに触れパスやフォロー、タックル練習する《3密》は爽快でした!)
(2022年10月1日の母校グラウンドでの現役チームとの最終合同練習後、現役チーム・保護者らの前で、現役チームから借りたZジャージを年長メンバーから一人一人に伝統の塩清め式も行って拍手で送り手渡していった。出場メンバーも気合いが入り、その盛り上がりにテレビ・新聞なども最後まで取材を続けてくれた)
迎えた本番2022年10月9日、あいにくの雨模様となったが、ラグビー班1期生91歳(1951=昭和26=年卒)貴田哲弘さんを筆頭にマスターズ花園出場下限40歳までのOB計54人(前半メンバー1986年卒・55歳以上23人、後半メンバー2001~1987卒・40~54歳31人)が聖地・花園の芝生の上で懸命にプレー。かつての恩師らも病を抱えつつ監督・コーチとして花園に足を運んでくれ、当日は雨天にもかかわらず、東京など遠方からも含め何と200人の膳所高同窓生や現役チーム保護者、参加者家族らが駆けつけ、スタンドから熱いエールを送ってくれました!大会関係者からも「膳所応援スタンドの集まり盛り上がりは、突出し実に見事でした」と感謝された程で、「Z」の強い気持ちや絆を再確認し、感激いたしました。
「同期のAさんBさんが来てくれたら必ずトライするよ」との1988卒F君の切なる願いも叶い、AさんBさんら多くの同窓生が花園に応援に来てくれたり、記念Tシャツ姿で動画・写真メッセージをラグビー班同期憧れの美人Tさん姉妹が届けてくれたり、出場選手の名前入り特製ウチワもスタンドで掲げられ熱い応援を受けるなど、現役の青春時代以上にハートに火も灯り気合いが入ったOB諸氏もいたのですが、現実は厳しく、結果はノートライに封じられての完敗・・・。青春時代の淡い失恋もオーバーラップする様でしたが、聖地・花園で伝統強豪校・秋田工の強さ厳しさも身をもって切に感じ、マスターズ花園でリスペクトする秋田工OBチームと対戦でき、ひたすら幸甚でした。
試合後も、膳所にとって大半がほぼ初体験のアフターマッチファンクション(敵味方ノーサイドで試合後に歓談会食する会。2019ラグビー日本W杯と同じ特設ルームにて同じ仕様で開催!)でも貴重な体験をさせていただき、ラグビーのノーサイド精神の貴さ素晴らしさを痛感。試合前も試合中も試合後も、秋田工業ラグビー部が培われてきた伝統の重み、ラグビー憲章「品位・情熱・結束・規律・尊重」そのものの姿勢を、試合プレーだけでなく、ラガーマンとしての佇まいも含めて身をもって学ばせていただいた――そんな想いでした。
マスターズ花園に出場し秋田工業OBと貴重な交流が芽生えたことは、今後のZRFCにとっても、かけがえのない財産・歴史となるはずで、「Z」ジャージにその重みや糧が沁み入り現役チームに伝わることを切実に祈念しています。
さあ、以下、現役チーム&未来のZRFCへ向け、マスターズ花園2022参加OBらから寄せられた感想文、2023春の新入部員増を願ってOB有志から届いたメッセージです。2023春の新入部員が1人でも多く増え、聖地・花園で「Z」ジャージが躍動、悲願の花園4回目出場と花園初勝利の早期実現をOB一同、切に願ってます。
(現役時代さながら緊張のキックオフ直前。パンツの色は40歳代が白、50歳代が紺、60歳代が赤、70歳代が黄、80歳代が紫、90歳代は《黄金》の「金」色――それがマスターズ花園でのルール)
【55歳以上 前半メンバー】
ラグビーは人生の縮図
昭和26(1951)年卒 貴田 哲弘
マスターズ花園2022の開会式でも「Master of Masters / マスター・オブ・マスターズ」と称賛され、唯一の黄金パンツを身に着け最高齢出場者の表彰も受けたZRFC1期生91歳・貴田哲弘さん――。先ずは、貴田さんが取材を受けた報道(読売、中日、毎日、共同通信、MBS毎日放送、YTV読売テレビ)なども改めて振り返り、そして現役&未来のZRFC後輩への貴田さんのメッセージを《パス》として繋ぎます。
MBS毎日放送 https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2022/10/091297.shtml
20221004【読売新聞夕刊】マスターズ花園にトライ〜91歳現役ラガーマン(ZRFC1期生・貴田哲弘さん記事)
20221005【中日新聞朝刊滋賀版】91歳 花園で楽しさ追求 膳所高OB 大津の貴田さんマスターズへ〜部員減に悩む後輩にエール
20221124【秋田魁新報(共同通信配信)】「マスターズ花園」91歳ラガーマン、輝き健在
Q:ラグビーの魅力って何ですか?
貴田さん:一口には言えんな。でも、ラグビーに人生の縮図がすべて詰まっている気がする。人間の人生とよく似ている。1人1人自分の仕事をやって次々と連係プレーの中で社会が成り立っていく。それと同じやんか。元気の源もラグビー、(パスで)次の人に自分の仕事を渡すときに、いい仕事を渡してやりたい。トライでもしてくれたらこんなにうれしいことはないわな。自分がトライするよりももっとうれしいわな。
ほんとうに人生そのもの。試合の中でうまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。自分が納得したプレーをしても試合に負けることもある。自分のプレーに満足できる出来でなくても勝ってしまうこともある。自分ひとりでは何もできない。チームや仲間がいて自分も頑張れる。自分が頑張ってチームや仲間の窮地を救いサポートできることもある。人生どちらに転ぶか何処へ行くか楕円球のラグビーボールと同じ。それでも、努力することで楕円球が転がる方向も予測したり時には決めたりすることさえもできる。努力や献身、そして何よりフェアであることの貴さが、ラグビーをやれば身をもって、ほんとうに理解できると想う。
Q:現役チーム・未来のZRFCにメッセージ
貴田さん:ラグビーで培った心身の強さやノーサイドやフェアの精神、また身体が小さかったり弱かったりしても仲間と工夫・鍛錬・意思統一し、勇気や全力を出し切ることができた方法論や自信、そして爽快感は、その後の人生にもきっと生きる。ラグビーをやって良かった、そう思える日がきっと来る。伝統の「諦めない、走りきる、頭を使う、そして何より楽しむ」という姿勢で、膳所高ラグビー班ZRFCのパスを共に未来へ繋ごう!
困難と世代の壁を越え
昭和43(1968)年卒 辻 孝廣
当時、高校ラガーマンの聖地・花園への道は遠く険しいもので、正直、最終目標とする対象ではなかった。
その頃の全国大会は「京滋代表」としての1校のみの出場で、京都の強豪である花園、同志社、洛北等が群雄割拠していた記憶がある。京都の代表校を倒して花園に駒を進めることは、ほぼ不可能だった。
また膳所の3年生は春季高体連を最後に退部する慣習があり、2年生主体での全国大会出場は不可能に思えた。
時が流れ、創部50周年(1998年)で行われたOBチームの試合に出ようとラグビーを再開、今回のマスターズ花園でたびたびマスコミに取り上げられ、全国のおっさんラガーマンから多大なリスペクトを受けたZRFC1期生91歳・貴田哲弘先輩と地元チームでラグビーを継続してきて24年――。そんな遠くて遠い聖地・花園の第1グラウンドで貴田さんと共にプレーするチャンスが73歳で巡ってきた。まるで楕円球の不思議な転がりにも感じ、マスターズ花園本番を前に、母校グラウンドでの年の離れた後輩や現役チームとの合同練習にも熱が入った。
思い返せば、マスターズ花園に出場し、聖地・花園の第一グラウンドに立つには、多くの条件があった。花園出場歴のある高校OBチ-ム、40歳~54歳、55歳以上の前後半2チ-ムが編成出来ること等々・・・・・・。出場を決めてからマスターズ花園での「全国大会最多出場&最多優勝」を誇る秋田工業OBチームとの試合終了に至るまで、楕円球との縁つながり、楕円球が結ぶ交流は、様々な困難や世代などの壁を容易に越えることを、強く強く実感する貴い日々となった。
募集要項を察知しOBに火を付け黒子になりきってくれたOB諸氏に感謝。
思えば四十数年前、創部30周年記念誌「とらい」を苦労して編纂。その続編が今もOB会の血管となり今日の大所帯になっている事に感謝。感謝。
(練習・試合とも、73歳「黄色パンツ」現役ラガーマンとして、背中で皆を引っ張る辻さんの勇姿は驚異だった)
ラグビーで得た体力と精神力に感謝
1973(昭和48)年卒 中野 信雄
まずは、我々の学年が出場出来なかった花園に連れて行ってくれた関係者の全ての方々に厚くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
ボク自身は高校3年間しかラグビーをしてないので、不安な気持ちはありました。ただ、憧れの花園のピッチに立ちたい一心で出場することを決めました。
現在も相棒である同級生の長谷川和彦君に声を掛けたところ、日頃の運動不足を懸念しながらも、ぜひ出場したいとのことで、花園出場に向けて一緒に行動することとなりました。結果的にはボク自身は前日練習で年甲斐もなく張り切りすぎて、アキレス腱を負傷し、ピッチに立つことが出来ませんでした。ただ、花園の持つ魅力をジャージ姿で感じられ、一生の思い出となりました。繰り返しとなりますが、今回の企画をされた皆様方に厚く御礼申し上げます。
相棒はピッチに立ててことに非常に喜んでくれたのがボクにとってもうれしいことでした。相棒が幸福感を感じてくれたことがボクとしての最高の収穫であったかも知れません。彼と二人で車にて貴田さんの送りと北居先生の送り迎えをしましたが、彼は快く引き受けてくれました。ボクひとりではとても自信がなかったので大変助かりました。出場者の役割分担の一翼を黒子として果たすこともでき、人のご縁を感じる次第です。
現在、OB会の副会長を仰せつかっています。会長の同級生でラグビーにずっと関わってきた小野田昭英君の聞き役やアドバイス役を職にある限り、全うしたいと思っています。
このような関係を続けられることは、ラグビーというスポーツの特性であると思います。考え方や生き方は違えども、互いの人格を認め合い、常套句となりますが、「ONE FOR ALL」の精神で他人の為に時として自己犠牲も惜しまない心が得られたと思います。また、ラグビーは日頃鍛錬を重ねいざ試合が始まると、自ら瞬時に状況判断してプレーを選択することになるスポーツです。フォローワーがいると信じてです。
ラグビーは社会人として楽しく働き、楽しい人生を送る精神を養うには最も魅力あるスポーツのひとつと思います。
最近、高校での部活があまり盛んでないと言われています。ラグビーは生きていくに必要な体力と精神力を養うのに最も適したスポーツだと思います。社会で働く今も役だっています。我が校のラグビー班に多くの後輩達が加入し、活発な活動をされること期待しています。一OBとしても出来るだけ応援したいと思っています。
新鮮 よみがえる思い出
1975(昭和50)年卒 礒田 典理
事務局はじめ、大会に参加するにあたってご尽力いただいた皆様ありがとうございました。また、終了後もジャージの洗濯など含めて大変な作業に携わっていただいた皆様心よりお礼申し上げます。
マスターズ花園に参加するのでメンバーを募っているという情報が私に入ったのが8月初めでした。同窓メンバー皆、都合悪いらしく締め切りが迫っているということで、年度委員である私が参加することにしたという、少し後ろ向きの参加でした。
ラグビーは、見るだけで、やるのは約40年ぶり。正直、今さらラグビーができるとは思えませんでした。とりあえず、息子が、膳所高ラグビー班出身で家にボールがあったので手になじませるぐらいで9月の練習に臨んだのですが、意外とうまくできる気がしてうれしくなり、初めてお会いするOBの方と毎週練習するのが楽しく、練習ごとに現役の頃にどのようにしていたかが思い出されてきて、気持ちは昔に戻っていたようです。ただ、体の方はどうしようもなく足の肉離れ起こしてしまい、試合本番で走れるようにどう持っていこうかと思案するなど、長らく忘れていたこの感じは、肉体の痛みに反して、新鮮でうれしかった。
大先輩の辻さんにお会いしたのも大きかったです。どこかで会ったことがある方と気になって、昔のOB会報「トライ」などの資料を探しだして調べるとOBチームの同じメンバー表に入っているではありませんか。しかも、辻さんから惑惑クラブのメンバーの方の赤パンツを貸していただいたのですが、その持ち主が、偶然にも私の知り合いで、これはもう奇跡のような不思議な縁を感じ、毎週の練習での辻さんの不思議なパワーに圧倒されていました。
このように、自分にとっては、聖地・花園で試合をするという一生の思い出ができたことも素晴らしいですが、それだけではなく、ラグビーを始めてから今までのことを回想し、昔の会報や名簿、写真など探し出して思いを巡らす機会になったことが、自分にとっては思い出の貴重なプレゼントをもらったような気がしております。
それから、学生時代にお世話になった北居先生、私たちの学年では、先生がどうされているのか知っている者がおらず少し心配していたのです。大変お元気そうで安心しました。皆に会ったら伝えておきます。
大先輩の貴田さん、実際に試合に出られるとは初めは思っておりませんでした。密集で倒されてヒヤッとしましたが、すぐ起きあがってプレーされた姿カッコよかったです。その姿を見て、絶対最後まで走り切るぞとの思いで後を引き継ぎました。前日までの足の痛みが、不思議と消えて感じませんでした。
私も年齢的には高齢者の仲間入りをしておりますが、まだまだ若輩者です。貴田さんに恥ずかしくないように精進したいと思います。
橋本さん、川島さん、新川さん 応援ありがとうございます。お会いしてOBチームで一緒させていただいたころが懐かしく思いだされました。私を覚えていただいたことがうれしかったです。
あらためて、このイベントを成功させるために尽力いただいた皆様、観客席で応援にかけつけていただいた多くの方々に心から感謝したいと思います。
ありがとうございました。
◆新入生へのメッセージ 「無謀? トライしようよ」
新入生の皆さん、入学おめでとうございます。
皆さんは、これからの高校生活3年間、勉強はもちろんのこと、先生方、友達とのかかわりや学校のイベントなどを通して多くのことを学ばれ、経験することで成長されていくことと思います。
特に、高校生活で班活動は大きな位置を占めており、どこに入ろうかと思案されている人も多いのではないでしょうか。
昨年10月にマスターズ花園という、皆さんにとっては、お父さんやお爺さんぐらいの方が参加する大会があり、私も参加することになり、50年ぶりに膳所高校での練習に参加しました。
グラウンドに立って何十年ぶりにボールをパスしたり走ったりしていますと、高校時代の記憶が少しずつよみがえってきました。そこで、当時の自分がどのようにラグビー班を選んで、どう感じたかをお伝えし、どこの班を選ぶかの参考になってもらえたら、という思いから書いております。
できれば、ラグビー班を選んでもらえることを期待しております。
実は、私は右股関節に子供のころから障害があり、中学卒業まで運動ができませんでした。その反動からか高校に入ったら運動部に入ることに決めていました。そして、中学校までは部活にはない種目であること、できるだけ体を鍛えられそうなことからラグビー班を選びました。
ラグビーは観戦するのは面白いが、危険なスポーツで自分がやるものではないという印象を持つ人が多いと思います。体が大きくて走りが早く、敏捷に動ける人、人一倍頑健でないとできないのではないかという印象を持っている人は多いのではないでしょうか。私もそういう思いの一人でしたが、中学まで運動できなかった者にとって無謀な挑戦かもしれないけど、とりあえずやってみることにしました。
練習は、はじめは辛く、筋肉痛がひどく歩くのも大変な感じでしたが、1か月もするとなんともなくなり体つきが変わっているのが感じられ、いつの間にか最近まで運動できなかったということも忘れ、チームに溶け込めるようになっておりました。
といっても、走るのも速くなく、体も小さい自分が、ちゃんとやっていけるのかという不安はありましたが、ラグビーという競技には、ポジションによって役割がそれぞれあり、各自の特性に合った役割のポジションがあるのです。足の速い人、体が大きく力の強い人は当然有利ではありますが、それ以上にそれぞれの役割をちゃんとこなすことが、チームのためになる。そういう競技です。運動に自信のない人でも十分にやっていけます。私は、スクラムハーフというポジションを受け持ち、速さよりも継続した走りと正確なパスが最低限の役割と考え練習に取り組むことにし、3年間続けることができました。
また、ラグビーというと、選手同士がぶつかり合うので、怪我が心配とか怖いといったイメージを持たれることも多いかもしれませんが、実感としてそれほどでもありません。安全重視のルールがしっかりしていますし、道具を使わず生身の人と人がぶつかるのですから、余程のことがない限り大きな怪我にはなりません。そして、怖がらず、勇気をもって行うことが怪我をしにくく、しかも良い結果が得られることに気づくはずです。
よく、ラグビーを社会活動や会社組織にたとえることがあります。チームのために責任をもって自分の役割をこなすということが似ているということからでしょう。練習が辛くなって休みたいと思うこともあってもチームのために頑張ろうという気持ちに自然となってきます。こういったことの積み重ねが財産になっていくと思います。
実感として、学校生活、卒業してからもいろいろな局面でラグビーを頑張ってきたことがよかったと思うことが少なからずありました。一生の付き合いとなる良き仲間、友人もできました。
先にお伝えしたように、50年ぶりに膳所高校で練習したわけですが、私が高校生の時からすると練習方法や設備はもちろんのこと、監督やコーチの指導する雰囲気もさらに良くなっていると感じました。
みなさん、興味持ってもらえたなら、ぜひ一度練習を見に来てもらえればと思います。
これから運動をやってみたいと思っている人も、走りに自信ある人もない人も、体が大きい人も小柄な人も、どのような人でも受け入れられるスポーツがラグビーです。
きっと、ラグビー班が気に入ってもらえると思います。
OB会費払わないとね
1977(昭和52)年卒 よーちん
間違いなく、もう一度あの場所へ行くだろう。もちろん出場チームに選ばれてのことだけど。
今回マスターズ花園のことを聞いて「これは何をおいても参加しないと!」と思って同期にも声をかけた。「あの花園やで、いかな!」と言って。
マスターズ花園に出場できて本当によかった、と思う。64歳での一番の、いや大げさに言うと人生の中でも間違いなく記憶に残る経験やった。
事務方を務めてくれたお三方には感謝してもしきれない。ほんとうに尽くしてくれたと思う。ありがとうございました。俺には到底出来ないや。
ロッカールームを出てグラウンドに立った感覚は格別のものでした。見回すスタンド、電光掲示板 あの秋田工業VS膳所高校の表示、赤い客席、濃い緑の芝。
そのロッカールームはラグビーワールドカップ2019で使われた場所。素晴らしかった。出場選手たちの息遣いが聞こえてくるような気がした、と言うんやろな。
二度と入ることができないかも。
本番前の母校グラウンドでの練習も参加してよかった。たまたま大阪に住んでいたので毎回参加できたのは幸せだったと思う。
正直OB会とは疎遠になってしまっていた。現役とも。40歳くらいまではたまにグラウンド行ったりしていたけど、ここのところはOB会費も払ってなかった。すみません。
そんな中、これまで接点がなかった先輩、後輩たちとのつながりができたこと、これもよかった。マスターズ花園出場の目的にもある世代を超えた繋がりを確かめ取り戻す友情の貴さ――。
現役に届けられたかはわからないけど、毎週集まる大勢のOBたちを見て現役メンバーも感じるものがあっただろうと思いたい。
ついでにちょっとショックな現実を突きつけられたのもあった。一番のショックは練習で上がったハイパントをキャッチできなくなってしまっていた現実。これにはまいった。現役時代はハイパントキャッチをむしろ得意と思っていただけにちょっと受け入れがたい現実でもありました。
残念だったのは、直前練習で太もも裏に内出血を起こしてしまったこと。まあ普段運動してこなかったからそうなってしまうのも当然と言えば当然やけど。
もう少し走れるように普段からやっておいたらよかった。それにしても貴田さんはもちろんやけど、辻さんも70代であれだけ走れるのはスゴイ。刺激を受けましたね。
もうひとつ残念というか心残りのこと。試合前半の最後の最後、浦野からのふわっとしたパスを受けられるか受けられないかギリギリやと思いつつ手を出してノックオンにしてしまったこと。足に引っ掛けてインゴールを目指した方がよかったような気がして、心残り。
まあそれより走れるように日頃から体動かしておかないと、ということですね。田中雅晴クンに大阪のクラブチームにつないでもらったので、ラグビーは続けられる。あとは私の行動次第ですね。
書き切れないのでこれで終わります。
◆新入生へのメッセージ 「正解なき課題に答え見つけるために」
念願の膳所高校への入学、誠におめでとうございます。これからの高校生活にいろいろ思いを巡らせていることと思います。
もちろん膳所を目指して結果を出したわけですから、大学進学が当然視野に入っていると思います。学業は大切です。これを疎かにすると社会へ出てから困ることになっちゃう。
では学業に専ら打ち込めばうまくいくか、というと、残念ながらそれだけではうまくいかないことの方が多い。これは40年以上社会でやってきた私の受け止めです。
学業に加えて、むしろそれ以上に大切なことがあると私は思います。
ラグビーの特徴はしばしば「多様性とコミュニケーション」と言われます。ラグビーは15人でプレーします。他の競技にはない大人数です。背の高いのも低いのも、おデブもガリも、足の速い者もあんまり速くない者も、パスがうまいのもぶつかるのが好きなやつも、いろいろいます。
ラグビーには、それぞれの特徴に合うポジションが用意されています。足が速くなくては務まらない、というものではありません。そんな様々な特徴の者たちが一つのチームになって勝利を目指します。
いきなりですが、社会へ出て最も求められる能力は何か。
それは、正解のない課題に答えを見つけるために、周りの人たちといっしょに時に苦しんで、みなが納得できる答えを見いだせる能力ではないか、と私は思います。
ラグビーにはそれを鍛える場も用意されています。
そそのかされてだまされてしまったと思ってもいいです。一緒にラグビーをやってみませんか。待ってます。
闘争の倫理「人として、フェアか」
1977(昭和52)年卒 谷 真一
1974年4月、膳所高校ラグビー班に入って以来半世紀、私はラグビーにかかわってきた。いや、小学生のとき、父親に連れられて、京都・西京極陸上競技場でオーストラリアコルツ対オール京都の試合を、雨の中、シートをかぶって震えながら観戦、「俺はラグビーをやる」、そう心に誓って以来か。いや、NHKテレビの早明戦、早稲田のCTBが蹴ったゴール前キックがふわっと浮いて、WTBが押さえた瞬間から、「ラグビーしかない」と滋賀の自宅で奮い立って以来か、私はラグビーが好きだ。
その早明戦の翌日の新聞では「早稲田、ラッキーバウンドで勝利!」と大きな見出しで報じられた。
しかし、その時の早稲田主将、SH宿沢さんが、卒業時の早稲田学報に「あれはラッキーバウンドでは決してない、WTBの前でふわっと浮く球を蹴ったのだ」と説明されていた。これこそラグビーだと思った。
ラグビーはその決戦に勝利するため、春から夏、秋にかけてトレーニングする。今は科学的トレーニングが採用されて、合理的にはなっているが、基本的には反復練習だ。当時はそれしかなかったのではないか。
CTBは毎日毎日、ゴール前にキックを蹴っていたんだ、何百回、何千回と。きっと、その練習をするうちに、なぜか3バウンド目にふわっと浮き上がる球を見つけたんだ。そしてまた、その蹴り方を練習したはずだ。
WTBは毎日毎日、ゴールラインを必ず、トップスピードで駆け抜けたのだ、インゴールラインを切るまでは。
決して緩めない、インゴールラインはゴールではないんだ。ゴールはCTBのキックがふわっと浮き上がると信じて、その一点を目指してトライ! それしかないんだ。ラグビーは「信じる」ことの素晴らしさを教えてくれた。膳所高校では信じあえる同期13人とラグビーできた。滋賀県無敗は誇りだ。
大学は早稲田しかなかった。入部式には70人くらいの新入部員がいた。その後、30人くらい入ったと思う。我々の時代は誰でも入部できたのだ。その代わり、新入部員をやめさせる、減らす、特別な練習が通常の練習以外にあり、一日が終わると思えない、過酷な日々を過ごした。今までの人生の中でも一番の試練だ。
次々と有名高校の有望選手がやめていく中、滋賀の無名高出身の私は残った。同期25人。
今さらながらよく残ったと思う。なぜか。それは前に記したよう、ラグビーが好きだからだ。信じることの素晴らしさ、大切さを高校時代から身体に浸み込ませていたからだ。情熱と信頼、それが私にとってのラグビーだ。
大学4年の時の監督が、大西鐵之祐(てつのすけ)先生。一浪していなければ卒業していたが、人生のめぐり合わせだ。
「信は力なり」、往年の日本代表「ジャパン」を率いて、オールブラックスジュニアに勝利した監督、とは知っていたが「君たちは早稲田でラグビーの技術を学ぶために来たのではない、ラグビー精神、フェアな精神をまとったナショナルリーダーになるためにラグビーをするのだ!」と言われて、きょとんとしてしまった。同期でその時、その意味が分かっていた者もいたかも知れないが、私は全く分からなかった。
目の前にボールを抱えて横たわっているFWがいる、そいつの頭を蹴ってでも、ボールをかき出してマイボールにするか、ルール上は寝ている相手が悪い、やるか、やらないか、とっさの判断で、「やらない」。これが「フェア」だ。正義を振りかざさず、ルールに縛られることなく、人としてフェアかどうか。
1年、2年、3年と明治に勝つことはできなかった。3年の終わりに大西先生が監督になられ、合宿所の玄関に「早明戦勝利」と掲げられた。ひたすらその日に向けて一日一日を過ごすことになった。
1981年12月6日、6万5千人、満員の国立競技場で、明治に勝った。その時も、薫がチャージしたボールがゴール方向に点々と転がって、ちょうど吉野が追いついた瞬間、ポンとバウンドして、すっぽりキャッチ、トライになった。試合に出ておらず、スタンドにいた。正直、勝つとは思っていなかった。
勝てる! と信じて練習しているやつばかりだったんだ。信じてたんだ とつくづく思った。
勝ったからうれしかった。それ以上に、信じることができる同期、仲間が周りにいっぱいあふれている環境に自分が存在していることが、うれしかった。歓喜の極致、みんなありがとう! と叫んでいた。
大学卒業後の仕事、生活において、「フェアかどうか」は私の身体にしみついて、人生における指針になった。今年65歳、だんだんスローな生活に移り行く毎日、家族にも恵まれ幸せに過ごしている。
もちろん高校、大学のラグビー同僚とは長い付き合い、当時のままの関係が気楽だ。
ラグビーとの出会いが 私の人生を創ってくれた。
(2022年9月24日に早稲田大ラグビー部上井草グラウンドでZRFC関東組OBが練習する機会に恵まれ、谷さんは上記の吉野さんと再会、練習後、吉野さん交え笑顔で記念撮影)
(アフターマッチファンクションで早稲田ライバル明治の往年名キャプテンとの貴重なひととき)
最高 至福 マスターズ花園
1977(昭和52)年卒 堀井 信
2022年10月10日、「マスターズ花園大会」の翌朝。心地よい筋肉痛と二日酔いで目覚めた……。
話はさかのぼるが、5月27日ラグビー班の後輩から1通のメール。
「マスターズ花園大会」!
ラグビー花園大会の出場校のOBチーム大会が開かれるらしい。ただ、40歳以上、55歳以上でチームを構成、それぞれ20~30名のメンバーが必要とのこと。40歳以上はともかく、55歳以上でメンバーを集めるのは大変だ。
まずは同期(あいつとあいつ)、あとはゴルフ仲間の後輩2名の合計5名確保(笑)。ごぶさたしている先輩数名に声をかけるも撃沈。
メンバー集めは最大の課題だったけど流石に膳所高ラグビー班OB、主要メンバーが走り回ってくれ91歳の大先輩まで参加頂き出場にこぎつけてくれた。
数年前に還暦を迎えた身で聖地・花園ラグビー場のグラウンドに立てるなんて望外の喜び。夢にも思わなかった。
さあ体作り、ここ1、2年の在宅勤務での筋トレが役に立つやろ!(ドライバーの飛距離アップのためやったけど……)
この夏は暑かった。トレーニングは9月に入ってからやな…と思ってたけど、9月に入って本番まで練習は3回だけ、なんせラグビーをやるのは三十数年ぶりや。でも、夢のおまけのように早稲田大学の上井草ラグビーグラウンドで練習もできた。
あっという間に試合当日。ゲームで目指していたボールに触れること、体を当てることについては目標達成。相手チームへのリスペクトとフェアなゲーム、第1グラウンドの芝の感触に夢心地、最高至福の時間やった。
膳所高校でラグビーに出会いラグビー班に入ったことで、その後の人生が何倍も充実した。
ラグビーやっててほんとに良かった!
Something just like this!
1980年(昭和55)卒 H.N
Something just like this.
まさに、夢(悪夢?)のような瞬間。卒業してプレーすることからは離れてしまって、42年ぶりに その瞬間はやってきた。自らがプレーヤーだった頃には達成できなかった、花園でのプレー。 しかもその相手が花園歴代最多優勝&最多出場を誇る、古豪の秋田工業高校――まさに悪夢。
感動やノスタルジーに浸る間もなく、ホイッスルは鳴る。相手の突進。考える間もなく、動く、走る。スイッチが入る。でかいが、相手もどうせ年寄りだ。やるぞ! やるしかない!
芝に降る雨と土の匂い。「ヤンボール、マイボール」の掛け声が響く。肉体のぶつかる振動。体に痛みが走る。けど走る。ただ走る。足がもつれる。出場が決まってから走り込んだはずなのに情けない。
気づくと10分経過。交代で老兵は去る。もう少しできたんじゃないか、という思いとともに……。
しかし、この10分間とその後のチームへの応援で、とても得難いものを得たのだ。思い出、熱き思い、情熱、友情、信頼、連帯、言葉にするとどれも軽く思えてしまうような何か。
高校時代、1年365日中300日以上の練習で追いかけてきたもの。その時は気づけなかったけど、そうだ。それを求めていたに違いない。
????新入生、在校生へのメッセージ 「言い表せぬ何かを追う」
高校生になり、今の時代、「班」活動でラグビーという時代でもないだろうと思っている人も多いとは思います。全国にスポーツエリート校もたくさんありますし。けど、人生で恐らく一番熱い時期、何かやってみようという気持ちも、どこかにあるのだと思います。
何が得られるのか、と問われれば 今でも明確な答えは返せないけれど、でも そこにはきっと何か「言い表せないものがある」はずです。それは、その時には解らない、将来も解らないかも知れないけれど確かにあるはず。始めてみてもいいのではないかと思います。その答えを求めて。
現役生らと練習 やる気スイッチ
1980(昭和55)年卒 田中 義和
マスターズ花園があるから一緒に出場しないかと同級生から声をかけられた時は、還暦過ぎてラグビーなんてあり得ない。いい年してけがでもしたらどうするんだ――との思いが頭を駆け巡ったのが本音でした。
ところが、自分が高校時代にお世話になった(年上の)堀井先輩も出場されるとのことで、同級生からも「60歳以上へのタックルはないのでタッチフットみたいなものだ、早く決めろ」と急かされて、堀井さんが出場されるのに、断るわけはいかないとの非常に消極的なエントリーでした。
全く練習せずに参加するのは怖いので、一度くらいは練習するかとの思いで、希望ヶ丘での現役チームとの合同練習に愛知・豊田市から参加したのですが、消極的参加だったのでシューズも息子のフットサル用のゴム底シューズでした。
20名くらいのOBが参加されており、非常に懐かしい先輩のお顔もありました。養護施設に入っている母親の訪問予定もあり、2時間弱の練習参加でしたが、本当に久しぶりにもかかわらず、大変楽しかったです。その後も、膳所高校のグラウンドで現役、OBとの練習にも参加し、ますます気合が入ってきました。
花園に出るなら、一度限りかもわからないが、こんなシューズで参加しては申し訳ないとの思いでスパイクを購入し10月9日のマスターズ花園本番に臨みました。
開始前にサブグラウンドでの練習では本当に久しぶり。浦野さんをはじめとした元チームメイトや多くの先輩、後輩と膳所ラグビー部OBとして一体感を存分に味わうことができました。
そしていよいよ花園メイングラウンドでの本番です。
現役時代には観戦のみしかできなかった憧れのグラウンド、その電光掲示版に自分の名前が映し出されるのは、何とも言えないうれしさがありました。
対戦相手は秋田工業OBチーム、とんでもない強豪校です。
体格の良い方ばかりで、本当にこんな人たちと戦うことがきでるのかと不安になりましたが、プッシュのないスクラムとは言え、1番で自分なりには何とか組むことができて満足しています。
ボールにはほとんど触ることはできませんでしたが、花園のメイングラウンドで、この歳でスクラムを組み、一生懸命ボールを追いかける経験ができたことは本当に素晴らしいことだと思いました。
更に終了後に2019ラグビー日本ワールドカップと同仕様で行われた交流会「アフターマッチファンクション」では膳所のOBの方々はもちろん、秋田工業の多くの方々と杯を酌み交わし、ラグビーならではの大変楽しいひと時を過ごすことができました。
マスターズ花園の魅力は、懐かしいメンバーとプレーをすることだけではなく、終了後の交流での会話を楽しめることだと思いました。
プレー後のビールの味は表現しようもないくらい美味しかったです!
こんな経験ができたのも、膳所高校でラグビーをやっていたからです。
卒業後に膳所高ラグビー部OBの方々と一体感を持った経験ができて、本当に良かったと思います。
ちなみに今年の年賀状はマスターズ花園での写真を使わせていただきました。
マスターズ花園出場にあたりいろいろとまとめ役をしていただいた事務局の皆さん、サポートしていただいたOBの皆様に、心からお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
◆田中義和さんはトヨタ「MIRAI」開発責任者として名を馳せられています(上記の貴田さんバンザイ写真右の赤パンツ眼鏡姿)。創部70周年記念(2018年)時、部員増の弾みとすべく寄せてくださったメッセージを下記再掲。マスターズ花園の試合後に味わったビールの旨さは、やはり格別だったようですね。
今年は開花も満開も早かった桜の見頃も過ぎ、膳所高新入生は今週から本格的に通学をスタートし、そろそろ「何部(班)に入ろうか……」と思案している方々も多いのではないでしょうか。
今回、新入生や現役生に向け、メッセージを寄せていただいたラグビー班OBは、水素を燃料とし排出するのは水だけ――「究極のエコカー」といわれる燃料電池車「MIRAI(ミライ)」開発責任者、田中義和さんです。
開発責任者として「時の人」となり、北野武(ビートたけし)さんとも対談、ミライは「環境に最も優しい車」として脚光を浴びました。
「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人に永遠の少年の魂を抱かせる
~ラグビー・フランス代表元主将、ジャン・ピエール・リーブ」
――との名言をほうふつとさせる、そんな田中さんのメッセージです。新入生や現役生のみならず、保護者の方々も一読いただければ幸甚です。
「ラグビーは自分の人生の芯となり屋台骨となり、壁を突破する力を与えてくれている」
田中義和(1980年卒)
新入生の皆さん、膳所高校入学おめでとうございます。ラグビー班後輩の2年生3年生の皆さん、遅れ馳せながら、昨年夏の全国高校7人制ラグビー大会においての、ラグビー班創部以来、歴史的な全国大会初勝利(膳所高の屋外球技でも全国大会初勝利――と聞いております)、よくやってくれました。OBとして誇らしく、感動しました。
自分は、ラグビーが盛んな野洲出身でしたが、中学ではラグビー未経験で、思い返せば今からはるか41年前。ラグビー班に入ったきっかけは、実は野球班の練習に参加しようとグラブなど持参して登校したのですが、当日はなぜか野球班の練習のない日で、たまたまグラウンドで練習していたラグビー班の練習がとても雰囲気も良く楽しそうで眺めていたところ、最終的に当時ラグビー班監督だった北居先生に半ば引っ張りこまれるような形でラグビーを始めました。ポジションはスクラム最前線で敵と対峙する左プロップ(1番)。敵から味方から、前からも後ろからも押されるという、よくよく考えるとラグビー特有のポジションだと感じます。
自衛隊での夏合宿や折々でのけがなど、正直つらい思い出も尽きないですが、はっきり言って勉強そっちのけ、在学中は教科書よりラグビー専門誌「ラグビーマガジン」を熱心に読んで過ごしました。同級生からも「ラグビーは一生懸命だけど、勉強は超低空飛行」との記憶が今も鮮明のようで、同級生と杯を酌み交わすと、からかわれることも多いです。
結局、卒業後の浪人生活を経て京都大に入学しましたが、京大で再会した膳所高の同級生からは「何でゴリ(あだ名)がここ(京大)に!?」と驚かれました。ラグビーで培った体力や気力、ここぞという時の集中力に背中を押されたような気もします。
高校卒業後も膳所高OBチームのラグビーの試合に足を運んでは、ノーサイド(試合終了)後に、皆で飲んだビールのうまさは生涯忘れられません。
前置きが長くなりましたが、今も会社に入って色んなプロジェクトに参画し、ライバルから味方から、前からも後ろからも押され、壁にぶち当たることも多いのですが、膳所高ラグビー班の一員として仲間と過ごした時間と記憶が自分の原風景となり、今も続くラグビー班の旧友との繋がりが、確実に励みとなり、人生を豊かなものにしてくれています。膳所高在学中、勉強一筋では決して得られなかった貴いモノがラグビーを通じて得られ、自分の人生の芯となり、屋台骨となって支え、壁にぶち当たったときに突破する力を与えてくれている――そんな気がするのです。
新入生、現役生、ラグビー班OBの先輩後輩、保護者の皆さま、4月30日に母校などで開催される創部70周年記念行事には自分も参加し、いかにラグビーが大きなモノを自分に与え、そして自分を支えてくれているか、記念講演で精いっぱい話したいと思っております。ぜひ、その場で皆さまと交友を深められれば幸せです。
最後に大切なメッセージ、「新入生のみんな、来たれ膳所高校ラグビー班へ!!」。
柔軟に考えよう アイデアで挑もう
1981(昭和56)年卒 浦野 健介
※浦野さんは同志社大で大学選手権3連覇時のメンバーとして活躍後に主将、新日鉄釜石時代も主将、監督を務められました
久しぶりに高校時代の先輩後輩に会えて楽しい時間を過ごすことができてよかったです。
参加者の人数や応援に集まった人の数など膳所高校ラグビー班出身者のパワーを感じました。
一方で今回現役の状況を聞くと寂しさを感じます。今回の大会への参加は現役の状況を知るきっかけとなりました。
まだ足腰が立つうちに現役の支援をしたいと思いました。
マスターズ花園大会に出場し、あらためて母校の現役選手に以下、メッセージです。
昨年の10月、マスターズ花園大会にOBチームで参加し秋田工業OBと対戦しました。大先輩である91歳のスクラムハーフ貴田さんをはじめ幅広い先輩、後輩とラグビーができ、また、北居先生ともご一緒にビールを飲めて楽しい時間を過ごすことができました。
今回参加した中で現役部員の人数が少なく苦戦していることを聞きました。それに加えて私が現役の時にライバルだった八幡工業も部員数が足りずに合同チームで県大会に出ていることを聞き、とても驚きました。
2023年1月18日の日経新聞1面のコラム「教育岩盤、進む少子化、縮む部活」に2018年の中学校の軟式野球部の1校あたりの部員数は19.9人、それが30年後には3.5人になるという予想が出ていました。
部員の勧誘活動を必死にやって膳所高校のラグビー班に常に30人以上の部員がいることが理想です。しかし今後も現状のように15人ぎりぎり、あるいは合同チームでの出場になることもあると思われます。
その前提で光泉高校をやっつけることは険しい道ですが、決して負け前提でやるのではなく勝つことを追い求めてほしいです。
助言として思いつくことを書きます。
サッカーやバスケをやっている人はマイボールが家にもありボールと友達になろうとしている。ラグビーも同じ。高校在学中に左右のスピンパスができるようにしよう。右利きの人は暇があれば左手でボールをスピンして感覚を身に着けよう。全員。パスを両サイドにワイドに放れれば敵と接触せず抜くチャンスが増える。
選手の出入りが自由なアイスホッケーでは第一FWが疲れたら第二FWが出てくる。FWはどんどん交代して常にフレッシュな状態にしている。あれを参考にできないか。先発のFWが疲れてきたらバックスと入れ替わる。先発のFWの体力が回復してきたらまたFWに戻る。部員数が増えたらリザーブの選手もローテーションに入れる。高校生ルールではスクラムトライがないのでスクラムが押される前提で球出しできるようにし、スクラムの押し合い重視の要員を作らない。FW役の時に走りまくる。ファイトしまくる。動きのある場面で勝つ。
これには保護者の方のご協力が必要です。お弁当の前後に取れる補食を持たせて学校に送り出していただきたいです。当然、体に入ってくるエネルギー量が増えた分、それを筋肉にするトレーニング方法も研究する。
膳所高校単独で15人そろっても、30人ほどで練習したほうがいい。週に1度は近くの高校チーム等とまとまって合同練習をしよう(※編集付記 今春から京都大ラグビー部との合同練習・出稽古が実現する運びとなりました!)。
自分たちでどんどんアイデアを出して取り組んでください。光泉をやっつける道はあるはずです。
(浦野さんは、やはり“レジェンド”にふさわしい活躍だった。トライ寸前に迫るなど随所に見せ場を作りスタンドも大いに沸かせた)
幅広い年代とラグビーできる幸せ
1985(昭和55)年卒 野口 聡
2022年6月に義理の姉から1本のVHSビデオテープを受け取る。義母が亡くなり、実家を整理していると出てきたらしい。背表紙には義父の丁寧な字で「第64回全国高校ラグビー滋賀大会決勝」と書いてある。3年生の11月に膳所高校ラグビー班の選手として最後に出場した試合である。38年前のテープなので再生できるか不安だったが、会社にあるVHSビデオデッキで映像を見ることができた。懸命にタックルする自分の姿を見て熱いものが込み上げてくる。同級生からマスターズ花園に誘われていたので、体力に不安を抱えながらも出場することを決心する。
出場を決めた後は、仕事を1時間早く切り上げて、ほぼ毎日ランニングと筋トレを継続する。トレーニングを続けている内に、同級生が次々と参加を表明してくれて、38年ぶりに5名の同級生とラグビーができることに大いに気持ちが盛り上がる。
9月から毎週末、高校のグラウンドでの練習が始まる。ラグビーができるうれしさと本当にプレーできるのかと言う不安を抱えて初めての練習に臨む。自分より一回り以上年上の先輩がさっそうと走る姿に衝撃を受ける。また、現役選手との対戦形式の練習の中で自らのミスをカバーするべく思わずタックルをしてしまう。何もかも忘れて必死なっている自分に気付く。練習後は何年も味わったことのない清々しさに包まれる。
一方で背中に激痛が走る。タックルした時に背筋を痛めたようだ。背中が痛いことより、次の練習に参加できないかもしれないことに心がふさぐ。本番のことはその時点では考えが及ばない。背中用のコルセットを装着して、何とか次の練習に参加する。練習を重ねる度にチームワークが高まり、参加メンバーの顔ぶれも多彩になり、清め塩を振ったユニホームを受け取るといよいよ本番を迎えることを意識する。高校時代は当たり前だったこと一つ一つに感激してしまう。
本番1週間前の練習には91歳の大先輩が参加され、心のこもったパスを投げられることに感服して、ラグビー班の伝統の重さを実感する。ただ、練習中に私のへなちょこパスを無理にキャッチしようとして転倒し骨折した後輩には本当に申し訳ないことをしたと悔まれる。
本番前日、母校での最後の練習を終えると、翌日本番を迎えることへの気持ちの高まりより、もうOBチームで練習できないことへの寂しさがつのる。55歳になって幅広い年代のOBメンバーとラグビーをできる幸せを再認識する。
本番当日、せっかくの機会なので一人で開会式へ参加する。花園ラグビー場の選手控室に大会運営の方に誘導してもらう。他のチームの選手達とすれ違う度に興奮が徐々に高まる。選手入場口から見る花園ラグビー場は、この上なく美しく輝いて見える。本当に自分はこの聖地へ足を踏み入れて良いのかと恐れ多く感じる。開会式の入場を待っていると対戦相手の秋田工業の選手達が姿を現す。その身体の大きさに少し気がひるむが、対戦相手として挨拶を交わす。秋田工業の選手と一緒にグラウンドに入場する。グラウンドとスタンド、スコアボードの大きさに圧倒される。秋田工業の選手と一緒に写真撮影をする。一人でも開会式に参加して心より良かったと思う。
集合時間となり、OBチームに合流する。更衣室で着替えをして、練習グラウンドへ向かう。初めてのメンバー全員での練習が始まる。無意識に気合が入り、走るスピードが必要以上に上がる。マスターズ花園の終わりが近づいていると思うと一瞬たりとも無駄にしたくない。移動時間のぎりぎりまでパントキャッチの練習をする。選手控室に集まりキャプテンの掛け声とともに気合を入れる。さあ、入場、しかし本当に聖地花園でラグビーができることが信じられない。試合が始まる。試合勘が戻るわけもなく、慣れないフルバックで不本意なプレーが続く。右に左に、前に後ろに振り回されるだけで自らの出番が終わったような気がする。花園でラグビーをOBチームの一員としてできたことは心底より満足しているが、ぜいたくを言うようだが自らのプレーには不完全燃焼の感は否めない。
アフターマッチファンクションでは、秋田工業の紳士な立ち振る舞いに、名門校の誇り高さを感じる。京都タワーのビアガーデンで開かれた打ち上げでは、強面の先輩方とゆっくり話す時間が持て、膳所高校ラグビー班の歴史の重みを実感する。
◆後輩、新入生へのメッセージ 「人生歩む支えに」
2009年にラグビーが持つ人間形成に資する特徴として「品位、情熱、結束、規律、尊重」が示されました。私たちの高校時代にはこのようなことは言われていませんでした。しかし、マスターズ花園で五つの特徴は私たちの中に息づいていました。
伝統校である秋田工業の誇り高き立ち振る舞いに品位を感じました。
ラグビーボールに触れるだけで自らの内に湧き上がってくる情熱を感じました。
自分の役目をひたむきに果たすOBチームのメンバーの姿に結束を感じました。
フェアプレーに徹する選手たちの姿に規律を感じました。
アフターマッチファンクションでは対戦相手を称え合う雰囲気に尊重を感じました。
ラグビーをプレーするだけで、社会で求められる資質が得ることができると思います。大学受験を乗り越え、社会で生き抜いて行く上で、私もラグビーにより培われた精神に助けられた一人です。皆さんもどうかラグビーを始めて、そして長く続けてください。皆さんが人生を歩む上でラグビーは心の支えとなってくれるでしょう。
最後に、55歳のおじさんに4か月間の青春を与えてくれた事務局の方々には、感謝してもしきれません。文末ながら、心よりお礼を申しあげます。本当にありがとうございます。
あれから30年「エエな、楽しいな」
1985(昭和55)年卒 久賀田
第1回マスターズ花園が終わって3か月、ゆるむ筋肉と増長するぜい肉に慣れつつ、日常生活が戻ってきました。
年齢レンジ約半世紀のラガーマンが集まり、持に大きなけがなく、ムチャクチャ楽しく最高のグラウンドでプレーできたことに、対戦チームの秋田工業の皆さん、大会主催者、応援を頂いた同窓生や家族、ZRFC事務局に、心から感謝します。
約40年前、ふらっと「ルールも何も知らんけど、面白いかも」という根拠なき思いつきではじめたラグビー。その練習はキツくて辛くて痛くて暑くて寒くてしんどくて……。それでも今はポジティブな記憶だけが上書きされ、チームスポーツを通して個人として成長させてもらった、得がたい時間だったとの思いしかありません。
社会人になり、シンクタンクで忙しくコンサル業務に携わりながら、3年目位までは高校OBチームでプレーしましたが、体力の低下とともに「このスポーツはアカンかも」「けがしたら周りに迷惑が……」との思いから、競技を離れて約30年。
20/30/40代は、ひたすら業務に忙殺されながら、それでも時間が合えば、様々な立場や業界で活躍する同期や多くの先輩・後輩と交流を続ける機会に恵まれました。世代を超えた「つながり」の中で、自分にはない考え方や新たな視点、貴重な情報、自分ももっとがんばれよ、の気持ちをもらえたことは、たいへん貴重な財産です。
プレーするのは約30年ぶりで、初めてお会いする先輩、後輩も多くいる中、大会1か月前から膳所高校に集まりました(快くグラウンドを使わせて頂いた先生方、現役の皆さんに感謝です)。アップの途中でバテバテになりながら、はじめての先輩方に恐る恐る気を遣いながら楕円球を追いかけていると、あっという間に世代を超えてチーム感が醸成され、「ラグビー、エエなぁ楽しいなぁ」の思いを新たにできました。
◆現役生、新入生へのメッセージ 「まじりっけなしにがんばれる時」
現役チームの皆さんは、大学生活や将来やりたいこと、就きたい仕事を明確に、またはぼんやりとイメージしながら、勉強に部活に、趣味に交際に、忙しい時間を過ごしていることと思います。ラグビー班で過ごした経験やつながりは間違いなく、一生モノの財産になります。貴重な時間を有効に使いながら、きつい練習を楽しんで、仲間と成長してほしいと思います。
最近は、部員を集めるのが難しい環境になっているようですが、新入部員勧誘に自分らの練習に・学業に、真っすぐ取り組んで頂きたいと思います。このような混じりっけのないがんばりができるのは、高校時代だけだと思います。
OBができることは限られ、膳所高校ラグビー班の歴史を守るために、と大上段に構えることもありませんが、ラグビーを通じた「つながり」をより多くの同窓生に持って頂けるよう、微力ながらサポートしたいと思います。
現役膳所高生の皆さん、ぜひラグビー部へ入部してください。
オッさんの体張った社会貢献
1985(昭和55)年卒 初宿(しやけ)伸彦
まずは今回の花園出場に向け、参加者募集から、最後現役ジャージの洗濯返却等にまでご尽力いただきました、幹事役事務局の皆さまには、感謝のあまり、言葉もありません。何もかもお世話になりっぱなしでした。感謝感激です。ありがとうございました。
おかげさまで40年越しの夢の舞台に立つことが出来ました。何ものにも代え難い最高の経験をさせてもらいました。
リスペクトする強豪秋田工業高校が対戦相手で、横綱相撲に小兵が挑む、となりましたが、アーカイブ配信を見ても、随所に膳所ラグビーらしい素晴らしい見せ場も多くありましたね。
自分自身も、おかげさまで前半戦フル出場させてもらい、目立つプレーもトライも残せませんでしたが、憧れだった聖地・花園のグラウンドを無我夢中で駆け回り、気がつけば前半終了、あっという間の20分でした。
マスターズ花園のテーマに「高校ラグビー支援に繋がる大会」があります。この思いに賛同したメンバーも多いと思います。
まさにオッさんの身体を張った社会貢献活動です。
マスターズ花園で、こんなに楽しく貴重な経験をした我々は、改めてその責務を負ってしまったかもしれません。
また、今回関与を果たせなかったラグビー班OBにも、こんな楽しい「ワナ」にはまっていただきたい。
世代を超えて今回再構築した先輩後輩との繋がり、同級生との絆の深まり、そして、卒業後社会人として様々な仕事ぶりで経験値を得たOB諸氏の知見を活かせばいろんなことが出来るのかなと。
公立高校ラグビー班の盛り上げには、思い付いたことでもなんでもかんでもやらないとあかん時期に来ているのは、他校の状況を見ても間違いないです。
「そんなん言うても簡単には出来んでー、仕事も忙しいしー」との思いは、皆さん同様に自問自答してしまいます。
でも大丈夫です。今回主役のお一人91歳の貴田哲弘大先輩の年齢に至るまでにも、まだまだ歳月はあります。気長に、でも着実に何が出来るのか、を少しずつでも考え、着手実行していければ、と思います。
これから膳所高校に入学される皆さん、ぜひ、膳所高校ラグビー班への道をひらいてください。様々な場面での皆さまとの出会いを楽しみにしております。
感謝を込めて。
やるならやろうぜ〜迷うな。やればいい
1985(昭和55)年卒 瀬川 裕幸
ラグビーというスポーツを通じた仲間とのつながりは、今なお色あせず、むしろ年を取るにつれますます濃くなってきている。
ただ、もう一生ラグビーというスポーツをプレーすることはないだろうと漫然と感じていた、今年の春までは。
高校時代からのラグビー仲間から「マスターズ花園」の話を聞いたときは、正直ひとごとだった。「OBって言ったって大学出て何年かの若手が出るんでしょう、なんせボール最後に触ってから30年以上経っているし、参加する人いるんやろか」――仲間とそんな話をしていた。ただ、どこかもやもやとした気持ちがあったことは確かだった。
「ぇー! 91歳のラグビー班発足時のメンバーが出るんだって!!」。仲間から聞いたときは正直驚いた。「体力のこと言い訳できないやん」。とっさにそう思った。そうか、俺は言い訳探してたんやな。
最近なんでも言い訳言い訳、理由を作っては行動しない自分を認めたくはなかったけど。そんな中で同期のみんなが次々と出場表明をする中、焦ってきた。
でも、まだ決心できない。「けがしたらどうする? そもそも今は東京にいるし、練習だってできないやん。スパイクもなにもないし」。出た出た、心の中で言い訳の嵐。「まあ、家族に相談したら反対されるだろうし一応聞いてみるか。
妻にマスターズ花園の件を何気なく伝えてみた。「いいやん。私だったら出場したいな」。
言い訳なくなった。それからは参加表明と同時に懐かしい母校で現役生との練習、東京の先輩 OBとご一緒させていただいきタッチフットクラブへの参加、並行してジャージ、スパイク、コンタクトレンズ、マウスピースの購入。半ばお風呂会員だったスポーツクラプでの筋トレ、有酸素運動とあっという間に準備期間が過ぎた。もちろん練習後の飲み会も忘れず実施(これがなくちゃね)。
当日、見学すると言った妻と娘をつれて、一路花園へ。北居先生はじめ諸先輩、同期、後輩、マネージャー等、懐かしい面々と再会を果たしロッカールームでは久々の高揚した感覚がよみがえった。いいところは見せられなかったけど、あっという間の20分。
その後は対戦相手の秋田工業高校の輝かしいOBメンバーとアフターマッチファンクション、さっきまでタックルしていた? 相手メンバーと次元が違うラグビー談義。
その後は場所を移して大宴会。
会の終わりに「来年に向けて明日からトレーニングやな!」。そう、にやついて叫ぶ仲間を横目に、苦笑いした。
高校でラグビーに出会えてよかった。ラグビー班で過ごした日々は3年に満たないけど、これまでの自身の価値観の根底とかけがいのない仲間との出会いにつながっている。
最後にこれからの自分への戒めと、高校でラグビーに出会うことができる後輩の皆さんに、私の敬愛する「ミスターラグビー」平尾誠二さんのおっしゃったと言われる言葉を記します。
「できない理由を考えたら、理由は山ほど出てきますから“やろうと思ったらやる”ということしか考えませんね。あとは本気になるかどうかです」
みんなに居場所のある競技
1985(昭和60)年卒 奥谷 晃史
まさかこの年齢(56歳)になってラグビーの試合にまた出ることになるとは夢にも思っていませんでした。
同級生がラグビー部グループラインで参加者を募っていましたが、普段運動をすることは皆無で、通勤も自動車で歩くこともなく、試合なんてとても無理としか思えませんでした。
小学6年生でラグビーを始め、中学、高校は部活動で、大学はサークルと高校OBチームにも参加し、社会人になってからも1年間ほどは県庁のチームに参加するなどラグビーとは縁が深い生活をしていましたが、自身がプレーしなくなってからはテレビ観戦程度で、日本で開催されたワールドカップも、会場に足を運ぶことはありませんでした。
ラグビーに対する熱量はおそらくOBの皆様よりはかなり低かったのではないかと思います。
それではなぜマスターズの試合に出ようと思ったのか。
自分でも不思議です。
体格に恵まれている訳でもなく、現役当時、身長は平均的でしたが、体重は確か52㌔とかなり軽量だったと記憶しています。
そんな自分がそれなりに続けられたのは、ラグビーという競技の特性というか、できるポジションがあったからだと思います。
自分に合ったポジションが必ずある、それがラグビーの魅力の一つということは経験者の皆様にはご理解いただけるかと思います。
また、良い仲間、先輩方、後輩達と出会えたことも大きかったと思います。
ラグビーは、アタックもディフェンスも味方をフォローすることが大切であること、規律を守ること、自分を鍛えること、勝つために組織としてどう試合を進めるか考えて練習すること、危険なスポーツだけに相手への敬意が必要なこと等、ラグビーで得た経験は社会で生活していく上で必ず役に立つと今回再認識しています。
そのようにラグビーは魅力のあるスポーツなのですが、今回何故マスターズに出場したのかもう一度振り返って考えると、結局ただ単純にみんなとプレーしたかったからということになりそうです。
参加してみての感想は、試合はもちろん、練習も楽しかった。
同級生、先輩方、後輩達と一緒にプレーできたことは本当に楽しかった。
先生や大先輩方にお会いできてうれしかった。
次回も花園マスターズがあれば、また参加したいと思っています。私の家族は一度練習を見に来たのですが、「ええおっさんが、みんな楽しそうやったな。」と半ばあきれていました。
今回参加されていないOBの方々も、試合に出る、出ないは別として、練習があれば一度とりあえず参加されることをお勧めします。パス練習だけでも楽しいかもしれません。
最後になりましたが、マスターズ出場に事務方として尽力いただいた皆様、各年代で練習、試合を仕切ってくださった皆様、試合後も最後まで対応していただいた皆様、本当にありがとうございました。
(結束の固い1985年卒同期の方々には大いに助けられ、この場を借り多謝)
ひやかした妻 わが“雄姿”に感激
1986(昭和61)年卒 八幡
まずはこのような機会を与えてくださり、運営や裏方に大変ご尽力頂きました事務局の皆さん、本当にありがとうございました。
卒業以来、観戦ばかりだった私ですが、同級生の坂口デカ君(※上記写真、独走し浦野さんトライに迫る見せ場のチャンスを開拓した青いヘッドキャップ20番)の強引な誘いに選手としての出場が決まり、まず妻からの第一声は「大丈夫? 参加費払ってけがしに行くようなことはやめてや」と冷たい一言。
2回目の全体練習で予定通り? のふくらはぎ肉離れ。ついでに自宅トレでギックリ腰。妻、「ほら、みてみ」と……。
接骨院通いながらの練習参加。
相手が秋田工さんと決まり、メンバー表見てると、FWは皆ひとまわり大きい方ばかり。
試合が近づくにつれ徐々に緊張感と恐怖感が高まってきました。足にはテーピング、腰にはコルセットの満身創痍で憧れの花園へ。
当日は北居先生はじめ懐かしの面々、また懐かしい母校での伝統のジャージの塩清め&受け渡し式も思わず目頭が熱くなりました。
そして試合開始。やはり足が本調子ではないものの、小雨のなか何とか10分間出場出来て感無量!!でした。
スタンドには妻と娘も来てくれており、「応援も凄く盛り上がって楽しかったよ。参加してよかったね!」と。
花園第一グラウンドの芝を踏むことが出来たこと、練習含めて約1か月青春時代に戻れたこと、そして膳所高ラグビー班の世代を超えた先輩、後輩とのつながりが出来たことは、私の人生の宝物となりました。
また次回このような機会があれば、今回参加しなかったメンバーも積極的に募って、必ず参加したいと思います。ありがとうございました。
・横断幕の後ろに妻(黒のコート)と娘(緑のカーディガン)
・巨漢の相手ナンバー8大森さん(元サンゴリアス)とアフターマッチファンクションで
・対面のHO北村さんとアフターマッチファンクションで
【40~54歳 後半メンバー】
30年振りに楽しませてもらった
1988(昭和63)年卒 寺村 臣弘
今回のマスターズ花園、30年振りのラグビー楽しませてもらいました。
7月から懐かしの膳所高グラウンドでの毎週の練習、キツかったけれど目標に向け仲間と共に動かし、久ぶりに青春気分になりました。また、先輩OB、後輩OB、現役生との交流あり有意義な時間をすごすことができました。
最後になりましたが、事務局はじめ今回の出場に向けての準備にご尽力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
イメージほど、けがはしない
1988(昭和63)年卒 深山 直志
50代になってから花園のグラウンドに立てる日が来るとは、夢にも思いませんでした。10分間という短い時間の出場でしたが、ラグビーの聖地である花園でプレーできたことを本当に幸せに思います。
同期の山下君よりマスターズ花園大会に参加してみないかと連絡があったのは、確か昨年の5月頃のことでした。当時は秋田で仕事をしていたので、10月に大阪である大会に参加できるのかなという不安がありましたが、花園のグラウンドに立てる、そして何より再び膳所高のジャージを着て高校の頃の仲間と一緒にラグビーができるチャンスだと思い、ぜひ参加したいという返事をしました。すでに同期をはじめ多くの方が参加を表明していて、懐かしい名前を見るたびに、マスターズ大会への気持ちが一層強くなったのを覚えています。
大会前日の膳所高グラウンドでの全体練習から、ジャージ授与式、緊張感に包まれたロッカールーム、グラウンド入場前の整列、そして強豪秋田工業との試合、試合後にお互いに健闘を称えあったアフターマッチファンクションと、あっという間の時間でしたが、試合前の高揚感と久しぶりに仲間と会う懐かしさが入りまじった素晴らしい時を過ごすことができました。この大会に出場するために忙しい中を準備、段取りしてくださったマスターズ大会事務局のみなさんにあらためて感謝申し上げます。
現役チームに目を向けると、近年は部員不足という大きな問題に直面していて、今年の4月に入学する1年生が一人でも多く伝統あるラグビー部に入部してくれることを切に願っています。
ラグビーは中学校までの経験者が少ないため、初心者でも気軽に入部することができます。また、団体競技で最も多い15人でプレーする競技であり、ポジションごとに求められる役割や能力も異なり、様々な個性の人が活躍できるスポーツです。一方で、ラグビーはボールの争奪戦において激しい接触があるスポーツで、けがが多いというイメージがありますが、ウェイトトレーニングによる体作りとコンタクトダミーを使った当たりやタックルの基本練習を繰り返すことで、多くのケガは防ぐことができます。
マスターズ大会後にあった昨年2022年11月6日の花園予選の準決勝で、現役チームは宿敵八幡工業に敗れはしましたが、1トライを取ったという話を聞いて、少ない人数で本当によく頑張っているなと思いました。3年生は卒業してしまいますが、その試合に出場していた2年生、1年生が中心となる今年はさらなる飛躍が期待できると思います。入学してくる新1年生にとって、これから始まる膳所高での3年間が更に充実したものになるよう、ぜひラグビー部に入部してみませんか。
私もOBの一人として何ができるのかを他のOBの方々と一緒に考え、現役チームに少しでも貢献していけるよう頑張っていきたいと思います。
ロッカールームでの爽快感
1988(昭和63)年卒 中澤 律夫
膳所高校を卒業後、大学そして就職後はクラブチームでラグビーを37歳まで続けていたものの、53歳でのマスターズへの挑戦、実戦から離れて16年という間に身体は変わりきっていました。
出場に向けて練習に励む先輩後輩が次々に肉離れを起こし、試合前のロッカールームでは現役時代同様にテーピングを巻くが、昔と違う痛々しさがあり、寂しい反面、何故か爽快を感じていました。
夏頃からランニング中心にトレーニングを始め、良くなり始めた頃に肉離れ……。いい状態では臨めなかったのが残念でした。でも、走れなかったので、けがしなかったのかもしれません。
東京在住OBの練習会として、谷先輩と村上キャプテンの尽力でワセダクラブと練習ができましたが、トライを決められた瞬間、堀井大先輩が一喝「オフサイドや!」。伝統を実感できました。
マスターズ当日は、懐かしい仲間と一緒に北居先生・川島さんと再び花園へ行けました。 あの秋田工業と花園で試合ができました、家族も応援に来てくれました、試合後は仲間と楽しいお酒が飲めました、朝まで京都・四条で元持と山下と朝まで遊べました、感無量でした。
出場された皆様、お疲れ様でした。事務局はじめ、今回の活動にお手伝いされた方には感謝です、誠にありがとうございました。
秋田工の伝統 実感
1988(昭和63)年卒 和田
今回のマスターズ花園、話があったときは、出場しますとの即決ができず迷っていました。
社会人になって約30年、まともな運動をしていないためです。
動けるのかどうか、けがせずに済むだろうか、と心配して決断できず……。
ですが、ワールドカップでも使用された新しくなった第一グラウンドに立てる機会はそうそうなく、最後は出てみようとの思いに至りました。
9月からの全体練習開始前に軽いランニングと筋トレを少々行い、臨みましたが、最初はそう簡単には体が動かなかったですね。
半日の練習をこなす程度の体力はつきましたが、ハンドリングはどうしようもなく。
マスターズ花園大会の試合は約10分間と短い時間で、防戦一方ということもあり、物足りなさを感じました。
秋田工業とは、現役当時よりは少しは良い試合ができるのでは、と思っていましたが、その考えは全く甘かった。地の力か練習の成果か、歴然とした自力差を感じましたし、アフターマッチファンクションでの振る舞いも含め、伝統をひしひしと実感しました。
大会へは、参加希望者が少なければ出場できませんでしたが、裏方・事務局の方がいないと成り立ちませんでした。
出場呼びかけの活動、現役チームとの調整等、すごく大変だったと思います。本当にありがとうございました。またマスターズ花園が開催され、膳所が出場できることになれば参加したいと思っています。
そして、この大会を見て、現役生がほんの少しでも「僕たちも」との思いを少しでも持ってもらうことと、来年度以降のラグビー班の人員増につながることを期待しています。
(ZRFC花園1987初出場した際の優勝校・秋田工メンバーと、時を越えアフターマッチファンクションで杯傾け、1988卒同期で感無量の記念撮影に)
独立自尊で高み目指そう
1989(平成元)年卒 浦 一貴
秋田工には完敗したのに、観客席には友人らの楽しそうな顔をいくつも見つけました。同級生の女性たちも、わざわざ駆けつけてくれました。そのうちの一人が手にするのは、私と同期足利亮太郎君の名を書いたうちわ。50を過ぎてアイドル気分を味わいました。
あこがれの地でスクラムを組む、仲間とのたわいない会話、そして声援。「ああ、ええもんやな」。幸福感に包まれました。1学年上に続いて花園出場がかなっていたとしても、こんな余裕はなかったでしょう。多くの仲間と共有できたひとときは、前年急死した同期佐藤賢隆君の追善にもなっただろうと考えています。
新聞記者になって四半世紀余り、増量だけは怠らない「口だけオールブラックス」は2020年頃、椎間板ヘルニアを患いました。ラグビーをあきらめている中、マスターズ花園の案内は望外の喜びでした。
今いる高知の「鯨惑」は練習しないクラブとの評判。ウォーキング(7㌔)にひとり励み、1学年下で現在、ラグビー男子セブンズ日本代表S&Cコーチを務める坂田貴宏君が作成してくれた自主トレメニューのきつさに音を上げつつも、「再びラグビー」との目標があるので充実感がありました。
当日、スクラムのトイメンは膳所が花園初出場した1987年度大会で秋田工優勝時のキャプテン高杉司さん(※高杉さんは上記写真の最前列左から2人目。高杉さん隣の白シャツ男前は、高杉さん同期盟友LO伊藤幸一さん。高杉さんは新日鉄釜石ラグビー部でZRFC1981卒・浦野健介さんと同チームだった!)。ノーコンテストルールにも助けられ、光栄を感じる時でもありました。
調整をひとり続けてきた5か月を振り返るうち、日本ラグビーのルーツ校である慶応義塾の創立者・福沢諭吉先生の「独立自尊」を思い出しました。自身だけでなく、仲間も相手も自身を高めてくれる独立自尊の存在です。その心意気でこそ、強くなれるように思います。現役生諸君、「独立自尊」を口説き文句に、他部の友人のハートに火を付けてください。「Z」が、侵略者の記号であってはなりません。平和とスポーツを愛する者のシンボルであることを知らしめるためにも。
合格者を待つのでなく、ラグビー部のある中学に働きかけてください。あこがれの対象になってください。
仲間が少ないなりに練習を工夫しましょう。2019年春の選抜大会で2勝した徳島・城東は、他部の助っ人2人含む16人で出場。グラウンドで見た練習はFW、BK混成によるブレイクダウンの繰り返しと、うめき声を上げつつの腕立てと腹筋各100回でした。敗れた慶応の生徒たちが悔し涙を隠さずに教えを請うた強化方法は、さほど特別ではありません。城東がそうですが、若手(自称含む)OB諸君、胸を貸してやってください。チームでない、クラブのよさを発揮しましょう。
おいしいお酒を飲もうね
1989(平成元)年卒 上野 博也
なんて、膳所高校ラグビー班って素晴らしいんだろう。
これが、今回のマスターズ花園に参加した第一の感想です。
本番もその後の京都タワーでの飲み会も楽しかったですが、1か月前から始めた練習が、とてもワクワクして楽しかったです。
何度目かの練習のために、膳所高校の校門をくぐると、笑い声がグラウンドから聞こえてきました。
楽しい部活があるんだなぁと思って近づいていくと、我がOBチームでした。
先輩後輩関係なく純粋にラグビーを楽しむ、昔話やルールの今昔、秋田工業の巨漢選手が突進して来たときの対策、みんなで話をしパスを回しあっている時が、とても楽しかったです。
社会人になって数十年、いろいろな人と仕事をしますが、ラグビーをしている人と社内外でお仕事をすると、本当に安心することが多いし、意思疎通が取りやすい。
先入観はないと思いますが、考え方が似ているような気がします。当然、人間なので、大雑把であったり細かかったり、大胆であったり慎重であったり、短気であったりのんきであったり、と性格は千差万別なのですが、深いところで共通している部分があると思います。
あえてあげれば、チームプレーを大事にするとか、自らの労力をいとわないというところでしょうか。
それに加え、今回は同じ高校のラグビー部出身ということで、楽しくないはずがありません。このような素敵な膳所高校ラグビー班が、長く続いていくことを願っています。
今の高校の現役生やこれから膳所高校ラグビー班の門をたたいてくる後輩たちには、どんな結果を残そうと、必ず人生の糧になるということを伝えたいです。
膳所高校ラグビー班、最高!!!
また、どこかで、おいしいお酒を飲みながら、いろんなことをお話しましょう。
最後に、雨男の自分のために、当日雨になったことを、お詫びします(笑)。
するりと落ちた「わだかまり」
1989(平成元)年卒 足利 亮太郎
マスターズ花園への参加をめぐって、多くの方々にご尽力を頂いたことを、まずは深く感謝いたします。おかげさまで私にとって夢の舞台であった花園ラグビー場の第一グラウンドに立つことができ、家族や友人から身に余るばかりの声援を受けることもできました。
私はラグビーに対して、やや複雑な感情を抱いてきました。小学校4年生で初めて楕円球に触れた私ですが、高校2年生になってケガをきっかけに思うようなプレーができなくなったことに加え、何よりも精神的な疲れが蓄積して班活動に集中できていませんでした。その年に膳所高校は県代表として花園出場を勝ちとったわけですが、私はスタンドから仲間たちをただ見ているだけでした。
高校時代の苦しさや挫折は、現在、兵庫県で教壇に立っている私の大切な糧となっています。あの頃のさまざまな感情は、後になって振り返るとそれ程大したことじゃないと思えます。それでもどこかに引っ掛かっていた小骨が、今回のマスターズでするりと抜け落ちた気がしています。
ふと、子どもの頃、ラグビーに「楽苦美」という字を当てていたことを思い出しました。今は心から言うことができます。高校生の皆さん,ラグビーは苦しいけど、楽しく、格好いいスポーツです。ラグビーを通じて、ぜひいろいろな経験をしてください。
少年を大人に、大人を少年に
1989(平成元)年卒 東谷 正宏
「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」(ジャン・ピエール・リーブ)の名言を彷彿とさせるマスターズ大会でした。
膳所高校ラグビー班OBの一員であることを心から誇りに思いました。
人生の喜びを感じました。
2023年も大会参加を切望しています。
心のすぐそばにありて励ます存在
1989(平成元)年卒 山口 一喜
私は今年53歳になります。
私がラグビーと初めて出会ったのは13歳の中学生の頃でした。
その後、今日まで膳所高校ラグビー班は常に私の近くにあり、私の人生に良い意味で強く影響を与え、私の人生を広げてくれました。
新しく膳所高校に入学された皆さんにも、ぜひとも素敵なスポーツや仲間との出会いを持っていただければと思い、私の経験を書かせていただきます。
私が中学校の頃、私は体育の授業でバスケットボールやサッカーをさせてもらえませんでした(立たされて見ているだけでした)。それはBody Contactが禁止されているバスケットボールやサッカーで私が激しくBody Contactをするからでした。
しかしながら、私にバスケットボールやサッカーを禁止した体育の先生が「これならば思う存分にBody Contactして良いぞ」と、体育の授業でラグビーを取り入れてくださったのです。
その体育の先生は数年前まで別の中学校でラグビーを指導されており、その中学での教え子が膳所~大学~社会人と活躍された我々の先輩(1981年卒・浦野健介先輩)でした。
その時から40年間、膳所高校・ラグビー班は常に私の傍にありました。
中学では(ラグビー部がありませんでしたので)陸上部に所属していましたが、陸上部の友人4人で「膳所高校に入ってラグビーが出来たら良いね」と話していました。
4人の中では私の成績がダントツに悪く、私が膳所高校に進学するのは相当確率が低かったはずですが、そんな仲間と膳所高校でラグビーがしたい……との気持ちで何とか膳所高校に合格し、無事にラグビーを始めました。
2年生の時にはチームの皆に助けられながら、初の花園出場を経験させてもらいました。
大学に入っても体育会でラグビーを続けましたが、膳所出身の諸先輩がいらっしゃったことから、私の大学時代のニックネームは“小(コ)ゼゼ”(膳所高校出身者で一番小さいから)でしたし、53歳になろうとする今でも大学時代の仲間からはそう呼ばれています。
社会に出て総合商社に入社しましたが、社内でも複数の膳所高校ラグビー班出身の方々にお世話になりました。
そんな時に昨年のマスターズ花園のお話をいただき、海外に在住しておりますが喜んで手を挙げさせ頂きました。
マスターズ花園では共にPlayをした時代の仲間達、初めてPlayを共にするが同じ大学出身者や同じ会社に所属している仲間達等、様々な仲間と触れ合うことで膳所高校・ラグビー班の絆を再確認する事ができました。
そして今、私は引き続き海外で勤務していますが、今年1月から私と共に働く、24歳若い会社の後輩も膳所高校ラグビー班出身者です。
膳所高校ラグビー班は常に私の近くにあり、私を励ましてくれる存在です。今までも、そしてこれからも。
近くて遠い花園 次こそ!
平成元(1989)年卒 大島 直彰
1987年11月、皇子山陸上競技場での「歓喜」、その輪にいた自分。今思い出しても、なぜそれまで公式戦に出場したことがない自分が、それもウイングとして出場していたのか?
スコア3-0、試合後半はほぼ自陣、それも22mラインとゴールラインの間での攻防、「勝ちに不思議な勝ちあり」と、今なお強く思います。
その年12月、スタンドオフとして出場を目指したもののスタメンを勝ち取ることはできず、控えとして迎えた花園初戦は、先輩の負傷交代の可能性があり、何度かグラウンドに降り立つもフィールドに立つことなく敗戦。「自分へのどうしようもない悔しさ」をロッカールームで感じた思いでした。
それ以来、「この悔しさ」を解消し、今一度「歓喜」を、と生きてきたといっても過言ではありません。高校2の冬、3年の春、秋すべて決勝で八幡工に敗れ、大学で始めたアメリカンフットボールは京大、関学の壁を越えられず・・・・・・。
仕事で毎年振り返ることは、「悔しい」取り組みになってないか? そして「歓喜」を味わえたか? テレビ局に就職し、ここ数年は、高校2年時にコーチを受け多大なお世話になった川島康夫さん(1968卒)の影響もあり、人の成長を支援する仕事(アナウンススクールetc.)の取り組みを進め、歓喜を味わってもらえることを仕事にしていますが、そんなタイミングで訪れた今回のマスターズ花園の話は、自身を奮い立たせる機会でした。
なのに、なかなか体づくりに心が向かない自分、初参加の練習でパスを取り損ねて転倒し、右肩鎖骨骨折。「負けに不思議の負けなし」、とはまさにこのこと。「因果応報」「自業自得」でまたもや花園を遠いものにしてしまったことに再度、「自分への悔しさ」を強く感じておりました。
せっかくの舞台を設定してくれた1期上の元持さんや先輩であり同期でもある山下さん、ご一緒に練習した方々には大変申し訳ない気持ちで、この原稿を書く気になれずにいました。
ラグビーフランスW杯イヤーとなる2023年も、マスターズ花園への参加申請をすることが決まり、次回事務局を務めます。今一度、花園への思いを奮い立たせています。
骨折の回復が芳しくなく、またしても遠い花園になるかもしれませんが、「努力は運を支配する」を胸に、何より花園勝利に向け、自身を鼓舞し取り組む所存です。
皆様の引き続きのご支援ならびに大会参加の程、どうぞよろしくお願いします。
◆新入生に向け〜「来たれ、仲間になりましょう!」
人生100年時代、「マスターズ・オブ・マスターズ」黄金のラグビーパンツ最高齢91歳(ラグビー班1期)でマスターズ花園に出場された貴田哲弘先輩がまさに実行されてきたように、「ラグビーは人生の縮図」。そして長い人生を生きる上で「One For All , All For One」「信は力なり」「継続は力なり」「努力は運を支配する」そして「前へ」。たくさんの人生訓を学べる場です。時にいたずらに転ぶ?楕円球を追いかける高校生活をぜひ!ZRFCの仲間になりましょう!
◆ことさら貴重でかけがえのないもの
1990(平成2)年卒 松田 剛
ひとたびボールを受けたり放ったりパスすることだけで高校時代に戻ることができ、まるで昨日のように同級生、先輩、後輩と交流することができるのがラグビーです。
膳所校ラグビー班での人間関係や、偉大な先輩、後輩との連帯感は30年近く社会人生活を営む中で、ことさら貴重でかけがえのないものに感じます。
ぜひ膳所ラグビー班に入部頂き、ラグビーに触れ、たくさんの知己と末永く楽しんで下さい!
One Team 垣根を超えて
1990(平成2)年卒 西田 典生
マスターズにお誘いいただきありがとうございました。
事務局はじめ運営に携わって頂いた多くのOBの皆様、本当にありがとうございました。
マスターズでは先輩後輩の垣根を越え、生活の一部にラグビーがある人、ない人関係なく、 当時の思い出に浸りながらOne Teamで戦えたと思います。
まさに、自分にとって夢のような最高の1か月でした。
試合後のセレモニー、打ち上げなども楽しく感動的でした。
◆新入生へのメッセージ 「みんなが主役 輝こう」
ラグビーは体が小さい人、足が速くない人、鈍くさい人、誰でも自分に適したポジションがあり、みんなが主役となって輝けるスポーツです。また、膳所高校ラグビー班は、今も昔も変わらず、高校生活で一番の思い出がつくれ、一生の恩師、仲間に出会える場所だと思います。
ぜひ入部をご検討ください。
◆選手として、指導者として
1991(平成3)年卒 上田 恭平
私は中3で膳所の優勝を見て、膳所へ行こうと決めました。
その頃は人数が多くなかなか公式戦には出られませんでした。高2の冬の新人戦で優勝、高3の春季総体で優勝、花園を目指していましたが、秋は準決勝で負けました。
そのことが喉に刺さった小骨のようにずっとひっかかったままでした。
大学でもラクビーを続けました。教員になり、髙田先生からお声掛けいただき、母校の監督となりました。初めて指導するのが母校ということで、責任を勝手に感じていました。
まず考えたのは、母校のラクビー班を必ず次の指導者にチームをパスしなければならない、ということでした。
赴任した前々年は優勝し、2度目の花園へ出場していました。前年は引き分けで両校優勝、抽選の結果花園へは出られませんでしたが、2年連続優勝していました。
どんな強豪チームなのかと思っていましたが、現実は退部したいという生徒が数名いて、素人の1年生を入れなければ単独で春季総体に出場できないという状況でした。
しかし、その時のラクビー好きな3年生と〇〇ほどかわいい2年生とよちよち歩きの1年生を目の前にして、自分が指導者として彼らと一緒にスタートを切る決意を固めました。
特にこの3年生は、春季総体は合同チームで初戦敗退だったのに、秋の花園予選までがんばってくれました。彼ら3年生が秋までやってくれたお陰で、その3年後に花園に出られたと思っています。
何度となく言っていますが、本当にそう思います。強くて調子が良い時なら誰でもやれますが、弱くてしんどいチーム状況なのに踏ん張ってくれた彼らには感謝しかありません。
3年後に花園に出た時は、優秀な選手がそろっていました。勝ててうれしいのもありましたが、自分の高3の時の引っ掛かりがやっと取れたというのが正直なところでした。
その後にも優秀な選手がたくさんいて、それなりの戦績を残すことができました。
しかし、指導者が自分でなかったら、もっと知識や経験があったら、もっと勝てたかもしれないと思うようになりました。
選手を伸ばすのも指導者ならば、選手の足を引っ張るのも指導者です。このことは今も変わらず考えるところです。選手に対して指導者は学び続ける責任があると考えています。
この度、マスターズで高月組や貝増組のメンバーと一緒に花園に立てたことはとても幸せな出来事でした。
選手としては花園に立てなかったけれど、数十年を経て、当時の仲間や教え子達と花園に立てるとは想像もしていなかっただけにとてもうれしい出来事でした。
しんどい時に踏ん張れるのが膳所高校ラクビー班の特性だと思います。長い人生においてほんの数年ですが、ここでの時間が濃密な経験をさせてくれるからこそ身に付く特性だと思います。
ぜひたくさんの人に経験してほしいです。
新入生の皆さん、膳所高校ラグビー班に入ろう!
同じジャージを着れば同志
1991(平成3)年卒 福田
久しぶりに楕円球に触れました。
練習でも懐かしい思いとともに芝の上で走るのはワクワクするものでした。
試合に出て思ったのは「やっぱり恐いな(笑)」というもの。
この恐さがあるから練習して大きい相手にぶつかりにいくし、仲間がいるから自分以上の力も引き出してくれるんだなと思いました。
歳いきましたが、こうやって自分は成長してきたんだって。
楽しかったのは世代を超えて同じジャージを着ている方々が同志として感じられたこと。
ラグビーにも仲間や先輩、後輩たちにも感謝です。また出たいです。
練習でよみがえった面白さ
1991(平成3)年卒 野村 亙
「マスターズ花園」という思いもよらなかったイベントの開催によって、25年ぶりにラグビーをやることになり、本番の1か月半前から膳所高で行われた練習に励みました。不安も満載でしたが、いざ始めてみると、「意外と忘れてないな」という感覚。コンタクトプレーには細心の注意を払い、気を付けながら練習を行いましたが、久々に持つ楕円球の感覚にどんどん面白さがよみがえってきました。
意気揚々と母校に通い続け、翌週に本番を控えた最後の練習。昔の感覚のまま軽やかにステップを切ったつもりが、左ふくらはぎがピキッ……。明らかな肉離れでした。コンタクトプレーではなく、まさかステップを切ってけがするとは…。ちなみに私たちに近い年代のバックスのOBは、結構、同じ目に遭っていました。月日が経つのは恐ろしいものです。
迎えた本番も案の定、足の痛みは良くならず、結果、試合アタマのわずか5分だけの出場となりました。試合ではもちろんコンタクトシーンはなく、ボールに触ることすらありませんでした。何をしてたんや……と言われかねないものでしたが、ラインに並ぶ緊張感や、みんなで一丸に戦っていこうという姿は、高校時代のそれと同じ、色あせていないものを感じ、懐かしさがよみがえってきました。
花園を目指していた高校時代は夢かなわずでしたが、30年以上の時を経てようやく立てた憧れの舞台で、色々なことを思い出すことができました。50歳になっても、良くも悪くも、あの頃と変わらない…。たいしてうまくもなかったけど、ラグビー部にいるときが一番楽しく、間違いなく自分の礎を築いてくれた場所でした。
ラグビーの楽しさ、仲間と戦う素晴らしさを改めて思い起こさせた「マスターズ花園」に参加できたことに心から感謝します。また、今回の大会への出場を率先して企画し、多くの活動を縁の下で支えて頂いた事務局の方々には重ねて御礼申し上げます。
敵とぶつかり合い、仲間と同じ思いを共有して、それぞれのポジションで役割を果たしていくこのスポーツの魅力を再発見し、また「スクール・ウォーズ」でも見ようかと思ってます(笑)。
対戦相手と仲間になれる
1992(平成4)年卒 村上 元三
ここ数年のコロナ禍で人が集まることを制限されてきた環境下で、このマスターズ花園への出場は、膳所高校ラグビー班の40歳台から90歳台までの多くのOBが集合するきっかけとなり、さらには花園ラグビー場という素晴らしいステージで同じチームメイトとして試合を楽しんだことはシニア時代の大きな思い出になりました。
チームメイトを集めることも大変ですが、相手にも集まってもらわねば試合は成り立たない。秋田工業という素晴らしいチームと対戦出来たこと、集まった秋工OBの一人一人に感謝します。何事も最初の試みを実行することが一番難しいでしょうから、大会主催者にも感謝します。
今回の出場や話題が膳所高校ラグビー班の現役生の増加に繋がれば、と切に願います。現在の高校生のラグビー人口は全国的にも減少しており、この課題を今回のような様々なイベントや自身が現役であり続けることでラグビーの魅力を老若男女問わず感じてもらい、解決していければと思います。
◆新入生の皆さん、ラグビーと出会ったことで、その後の人生観が変わったという大人は数多くいます。ラグビーW杯でも死闘のような試合直後に多くの選手が相手チームの選手と笑顔で抱擁しているシーンがあります。この素晴らしいシーンは定期戦を重ねることで、相手チームのメンバーとも顔見知りとなり、仲間意識が芽生えてくる感覚であり、まさに定期戦をルーツとするラグビー独特の魅力でもあります。このスポーツと出会ったことで数多くの仲間と親交を楽しめる人生となるでしょう。
スタンドの大応援団に感激
1992(平成4)年卒 川上 健
2022年10月9日、高校時代にどうしても行きたかった夢の場所、ラグビーの聖地、花園ラグビー場に立つことができた。「マスターズ花園」出場という機会に恵まれ、ラグビーをするのは20数年ぶり、母校グラウンドの練習では肉離れを起こすなど、不安を抱えながらも、試合当日、花園ラグビー場のメイングラウンドの芝生を踏みしめ、気分は高揚していた。
試合前のウォーミングアップから徐々に緊張感が高まるものの、高校の現役時代の公式戦前の感覚を思い出し、また懐かしい面々に囲まれ、青春時代に戻ったかのような錯覚に陥った。
当日はあいにくの雨模様にも関わらず、スタンドの膳所高校の大応援団に感激し、また試合相手は名門秋田工業高校という申し分のない相手で、負けはしたものの、短い出場時間であっても夢の舞台でラグビーの試合をしたことは、一生の思い出となった。
今、振り返って考えてみると、聖地花園でラグビーをしたことに加え、試合出場に向けて母校に毎週通ったこと、再び先輩の皆様、同期や後輩たちと楕円球を追いかけたのは、本当に楽しかった。膳所高校ラグビー班の世代を超えた繋がりを肌で感じ、先輩・同期・後輩と旧交を温め、またラグビーというスポーツの楽しさを再認識する得難い機会だった。高校時代にラグビー班に入り、ラグビーをやって、本当に良かったと思う。
この場をお借りして、マスターズ花園出場に向けてご尽力いただいたOBの皆様、事務局の皆様、裏方支援をしてくださった皆様、現役チームの皆様、応援・ご支援いただいた皆様に心より御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
◆現役膳所高校生、新入生の皆さん、ラグビーは素晴らしいスポーツです。ぜひ、ラグビー班に入り、ラグビーとともに青春時代を謳歌してください!
花園での試合に感動そして感謝
1993(平成5)年卒 寺田
花園での試合の実現のために尽力していただいた皆様に感謝申し上げます。高校時代は花園を目指し、卒業後はテレビで花園の試合を見たり、実際に後輩の花園戦を見たりと外から楽しんでいました。
ただ、心のどこかでは、メイングラウンドでいつかは試合したいと思っておりました。そのような中、思いもよらぬ「マスターズ花園」への参加希望募集! すぐに、飛びつきました。試合に向けては、自ら体づくりを進めましたが、何よりも懐かしの膳所高校で練習できたことが、これまたうれしい出来事でした。
花園での試合当日は感無量で、グラウンドもロッカールームも全てが新鮮でした。試合には負けはしたものの、先輩後輩と一生懸命楕円球を追いかけることができ、最高で楽しい生涯忘れられない思い出となりました。
改めてこのような機会を作ってくださった事務局の皆様に感謝いたします。本当に、ありがとうございました。
◆ラグビーに興味が少しでもあるあなた、ぜひラグビーを始めてみて、一生の仲間をみつけてみませんか。膳所高のチームメイトはもちろんのこと、ラグビーで世界中の人と繋がれます、ぜひOne Teamを体感してください!
再会に不安吹き飛んだ
1993(平成5)年卒 純平
今回、マスターズ花園に参加して、第一の感想は「楽しかった」ということに尽きます。
膳所高校でラグビーを始め、卒業後も関西Bリーグの大学の体育会ラグビー部で、社会人になっても滋賀県や栃木県のクラブチームで続けていました。
ですが、仕事の関係でケガができなくなり38歳でフルコンタクトのラグビーは引退しました。
10年ぶりのタックルや当たりで大丈夫だろうか?という不安はややありましたが、久しぶりに会う同期や先輩方と一緒に身体を動かす楽しみの方が大きかったです。
実際に試合が始まってピッチに入ると、走ってタックルしてラックに突っ込んで・・・とあっという間の10分間でした。
試合前に各時代のチームメイトと再会し、試合後にメンバーと「あのプレーは○○やった、このプレーは△△やった」と言い合うのも楽しいものでした。
みんな今の仕事内容や立場はいろいろですが、当時の呼び名や気持ちで話せるのは、身体と身体をぶつけ合い、しんどい思いを一緒にしてきたラグビーの仲間だからこそなのだろうと思います。次回も出場があればぜひまた参加したいです。
◆新入生へのメッセージ 「いい仲間と会えるはず」
もしも、所属するクラブを何にしようか迷っている現役生がおられれば、試しにラグビー部の扉を開けてみませんか?
様々な個性が活躍するチャンスのあるラグビーに取り組むことで充実した高校生活が送れるでしょうし、いい仲間と出会うことができるでしょう!!
素敵なつながりを作ってくれたラグビーに乾杯♪
息子のおかげ ラグビーと縁再び
1997(平成9)年卒 千田 康隆
膳所の「Z」ジャージを着て花園でプレーするという、高校3年県大会予選決勝で八幡工業に敗れて以来、全く想像もしていなかった機会に恵まれたことを、非常に幸せに思っています。
また、ZRFC事務局を担当していただい皆様の尽力に感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、高校卒業以降はラグビーをほとんどしておらず、息子をラグビースクールに通わせ始めたことから再びラグビーにかかわることになりました。はじめは保護者として参加していましたが、今ではラグビースクールのコーチとして、週末に汗を流しています。
高校とはカテゴリーは違えど、ラグビー精神の「規律・尊重」に加えて「感謝」を特に重視して伝えており、チームと練習の目標を設定し振り返りをしながら成長していく取り組みをしていくことは、何ら変わりがありません。
高学年では、心技体で大きく成長する姿に感動を覚えるとともに、ラグビーのすばらしさを実感しています。
この大会で、自分もプレーする可能性とラグビーの楽しさ改めて感じました。
スクールのコーチと会話する中で、膳所高と境遇の近い愛知県立岡崎高校のOBが、新春1月3日に行う恒例の現役生との試合に参加させてもらいました。
現役生は人数が足らず合同チーム、OBも出場者が足りないので、ラグビーを愛する人達が集う場にしたいということで温かく迎えて頂きました。ラグビーによって新たなつながりが広がった機会でした。
私は、マスターズ花園がきっかけとなりラグビーによって新たな経験をさせてもらいました。
微力ながら貢献させていただき、現役チームの発展につながることを願っています。
膳所高ラグビー班でよかったと心から思えた日
1997(平成9)年卒 東城 正和
マスターズ花園に参加させていただき本当にありがとうございました。当日は、ただただ楽しかったです。何年もラグビーの試合はしてなかったですが、試合の始まる前の円陣で一気に花園を目指した高校時代に戻った気持ちになりました。
何年経っても、仲間と花園を目指してラグビーに打ち込んだ日々が自分のなかで大きなものだと感じました。またそれは、先輩後輩それぞれの代でも同じで、世代を超えて同じ思いを共有できたことが本当にうれしく、楽しかったです。膳所高ラグビー班でよかったと心から思える日になりました。
青春時代以来の「全力で走る」
1998(平成10)年卒 石山 大樹
FacebookのOB会ページで、マスターズ? 花園で試合? 面白そうなことするんだなぁと「いいね」を押して、行こうかな? どうしようかな? と思案する中、個別でお誘いをいただいてそのお陰で参加を決心できた。
夏から始まったOBでの練習、ただ楕円球を追いかけ、パスし合うだけでなんだかワクワクしてとても楽しかったのを思い出す。
現役に交じっての練習、そうそうこういう汗臭い青春をしていたなと当時を思い出して懐かしい気持ちに。またこうして現役の高校生たちの倍以上の歳になっても現役たちと一緒になって走り回れる丈夫な体でいられるというのは、高校時代にラグビーというスポーツに出会い、そしてその影響で今でも少しはトレーニングを続けていられたからだろう。
マスターズの試合、秋田工業OB選手たちの強さ大きさ、こちらが手も足も出ない感じがなんだか当時の膳所対八幡工を思い出してしまい、ここでもまた懐かしい気持ちになった。
大人になって家庭を持ち、いつの間にか全力で駆け出すことを忘れていたが、マスターズ花園の参加、忘れていたものを思い出せそうなとても充実した時間になった。
日常に新鮮さと鋭気 体酷使の効果
2000(平成12)年卒 安齋
ラグビーは高校を卒業してから遠ざかっておりましたが、5年ほど前に再開していました。再開後にはけがやコロナもあり、出来たり出来なかったりが続いていましたが……。今回のマスターズ花園の知らせをもらい、久々に追い込んで体を作り、練習に汗を流しました。
本気でラグビーに週末を費やす日々は、体は疲れるんですが、リフレッシュや違う頭の使い方をすることで、仕事にもいつも以上にエネルギッシュに取り組む事が出来、また久々に所属チームの人たちや、OBの皆さんとやり取りをするのも刺激を受けました。
花園の芝は高校1年生の時に、リザーブの背番号で入場行進をした以来。試合は第3グラウンドで出場はかなわず、でしたが。
ピッチに出た瞬間の感動は筆舌に尽くせぬものありました。プレータイムはわずかでしたが、花園の芝上を懸命に走り、体をぶつけ、敵味方なく良いプレーをたたえる、本当に素晴らしい瞬間でした。
3年生の時は春の大会で人数が足りず合同チームの出場で、秋の大会も前年同点優勝から一転、準決勝で八幡工業に大敗しました。何となくかかっていたくやしさ、やりきれなさ、全て吹っ切れた気持ちになりました。
◆新入生へのメッセージ 「仲間を信じてこそ」
ラグビーは体をぶつけるスポーツです。味方のサポートがあるという信頼がなければ、また敵に対してもリスペクトがなければ怖くて体はぶつけられません。だからかもしれませんが、一度試合をすると敵味方なく信頼関係が生まれますし、高校時代に楕円球を追った仲間ははるか時間が経った今も、ものすごく大事です。それは今社会人で楕円球を追う仲間にも通じており、仕事も環境も違う仲間とラグビーを通じて交流が出来る、これは得難いものだと思っています。
長い人生、本気でラグビーに情熱を傾けた3年間は、今も人生の礎としてあり、心からラグビーをやって良かったと思っています。
ラグビー人生に再び火が灯った
2001(平成13)年卒 H.M
今回マスターズに参加させていただいたことで、歴代の大先輩が築き上げられてきた膳所高校ラグビー班の伝統と絆を実感いたしました。
聖地・花園グラウンドに立ち、世代を超えて一丸となり伝統校・秋田工業高校に立ち向かうことができたことは、夢のようなひとときでした。
自身のラグビー人生にも再び火が灯り、新たな目標ができたことに喜びを感じています。次回もぜひ、同期とともにチャレンジしたいと思います。
「どうかしていた」あの頃の自分に大感謝
2001(平成13)年卒 木村 遥介
高校時代に夢見た花園ラグビー場での試合を終え、一つ大事なことを思い出しました。
「そうや、俺、ラグビーめちゃくちゃ下手やったんやわ」
また、後日、試合のビデオを見て驚愕しました。
「俺、細っ!!」
そう、ビデオに映る私は、試合直後の感想のとおり、何もしていませんでした。が、加えて、秋田工業OBはおろか、膳所高校OB、下手をすればスタンドの親族・関係者を含めても、ぶっちぎりで細く、みすぼらしかったです。
高校在学中は今(180㌢、70㌔)よりもさらに細く、60㌔あるかないかだったのですから、考えただけで恐ろしいです。
加えて足も遅くて、不器用で、中学生の時に市内最弱のサッカー部を退部したくらいのヘタレで……。
入部時に、両親から猛反対されたのも当然です。自分でも「どうかしていた」と思います。
でも、新入生の時に「どうかしていた」から、伝統ある膳所高校ラグビー班の一員になれて、近畿大会(花園開催!)にも出られて、最高の仲間と思い出を得ることができました。
今でも当時の仲間とよく集まり、当時の思い出をしがみ続けて酒を飲んでいます。だって、何よりも楽しいから。
あの頃の「どうかしていた」自分に大感謝です。
もし新入生がこれを読んでくれたなら、ぜひみんな、私と同じように「どうかして」もらいたいと切に願います。
話をマスターズ花園に戻しますと、上述のとおり、当日会場で出会ったオジサンラガーマンの中で私が一番弱そうでしたので、秋田工業OBがどうのこうのではなく、どのチームとやってもすべからく何もできなかったでしょう。そんな中で、伝統のある秋田工業OBと試合をさせていただき、とてもうれしかったです。
だって、また酒の席でしがみ続けられる思い出ができたから。
部員不足 また乗り越えよう
2001(平成13)年卒 貝増 亮彦
小雨の中、あの頃思い憧れた花園第1グラウンドでの試合終了の笛を聞いた。わずか10分程度の出場であったが、何もできなかった自分に悔しさを感じていた。
「まだこんな感情が沸いてくるものだなあ」
卒業して20年以上が経過したが、10代の頃の気持ちがぼんやりよみがえっていた。
大学卒業以降、ラグビーはおろかまともにスポーツや体づくりに取り組んでいなかったこともあり、今回の出場も考えていなかったが、同期の誘いもあり、勢いで参加した。
秋田工業という伝統と高校ラグビー界で屈指の実績を持つ強豪との対戦ということもあり、試合前の独特の緊張感、やっぱり出ない方が良かったかもという恐怖感にさいなまれ、アップする感覚は現役のときと変わらぬものがあった。 自身のパフォーマンスはさておき、聖地でのプレー、大先輩たちと同じフィールドに立てたことで改めて膳所ラグビーの歴史・伝統の重み、その一員であることに誇りを感じることができた。
我々の時代は1年生の時に優勝を経験したものの、2年時には部員不足で、おそらく膳所ラグビー史初の合同チームというつらい時期もありました。そのような状況から監督、部員の支えもあり、チームを立て直し、後輩たちの世代に繋げることができたことは唯一の実績とも感じております。
もちろん、プレーする以上は結果を出すことが大事という面もありますが、高校での大事な時間をともに過ごし、研鑽するという経験、仲間を持てることが本当に一生の財産となると考えております。
現役チームも部員確保が難しいとのことで、練習や試合への参加で苦労をされているかとも思いますが、なんとか踏ん張り、新たな歴史を創っていただければと願っております。また、少しでも興味を持たれているかたは膳所ラグビーの新たな仲間に入っていただきたいです。
《裏方スタッフ》
「One For All,All For One」の体現
1988(昭和63)年卒 元持 弘二
ラグビーとの出会いは、ものすごく単純なものでした。中学3年、高校受験まっただ中にあって、高校ラグビー部を題材とするテレビドラマにハマったのが始まりでした。そんな単純な動機で始めながらも、社会人選手としてプレーを終えるまでの15年近くラグビーを続けてきた、続けてこられた理由は何だったのか。
いままでやったことのない初めてのラグビー。危なそう、痛そう、怖そう、ルールが難しそう等々、いろんな不安があったことは確かです。しかし、周りを見渡せば同期で経験者は二人だけで、同じ様に初めて楕円球に触れる仲間ばかり。そんな「初心者」仲間が大勢集まって高校生から新たに挑戦できるスポーツはラグビーくらいしかありませんでしたし、恐らく今でも公立高校にあっては、そんなスポーツはラグビーくらいしかないのではないでしょうか。
そんな仲間がいたからこそ、不安はいつしか楽しみに変わり、ただただ楽しかっただけのラグビーも、いつしかより高みを目指すようになり、勝つことに喜びを覚え、ともに切磋琢磨し、皆で大きな目標を達成することができたことは、その後の人生においてもかけがえのない財産になりました。
ラグビーはスポーツの中でもフィールドに立てる人数が一番多いスポーツです。身体の大きな人や小さい人、足の速い人やそうじゃない人、力持ちの人やそうじゃない人等々、いろんな個性を最大限に生かして、それぞれの役割や責任を果たしながらOne Teamとなって戦うスポーツでもあります。
One For All , All For Oneという有名な言葉があります。自分よりも大きな相手にもひるむことなく果敢に立ち向かい、身体を張って自分の役割や責任を全うする。自分がタックルされたときにはチームの皆がいちはやく駆けつけてサポートしボールを確保してくれる。また自分が犯したミスにも皆が必死になってそれをカバーしてくれる。どんなスポーツでも 同じような場面があると思いますが、ラグビーというスポーツはOne For All , All For Oneをまさに身体を張って体現できる、させてもらえるというところが最大の魅力だと自分は思いますし、15年近くも続けた、続けてこられた答えだと思っています。
長い人生の中で、皆で身体を張って目標に向かって取り組む・戦うこと、あるいは大事な人やモノ・コトを守るような場面はそうそうないでしょう。ラグビーで得たその経験や体験は必ずや自身の大きな財産となります。勝ち負けに拘らず、そういう経験や体験ができる。それがラグビーです。「ラグビーは、少年をいちはやく大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」と言われる由縁は、こういうところにもあるんだと思います。
膳所高校に入学を果たされた今、生涯を通じて友と言える仲間を探しに、そして皆で身体を張って目標に向かって戦う喜びを得るために、ぜひ、ラグビー班の門戸を叩いてみてください! かけがえのない財産を得られると信じて止みません。
参加即答 懐かしい顔ぶれ
1988(昭和63)年卒 マネージャー 藤本 経子
2022年7月末、マスターズ花園大会にOBチームが出場決定! というメールをいただいた時、絶対応援に行くぞ!と意気込んでいました。すると数日後、山下君から「マネージャーとして参加する意向はないですか?」とメッセージをいただき、「ぜひ!」と即答しました。ただ、事務局の皆さまがいろいろとご準備いただく中、練習等に参加出来なかったこともあり、特に何もお役に立つことなく試合の日を迎えました。
マスターズ花園当日、少し早めに現地待ち合わせ場所に行くと、すでに北居先生をはじめ懐かしい顔ぶれ、初めてお会いする方々等、多くの皆さまが到着されていました。時間が経ち、OB各位が次々到着するにつれ、「どなた? 先輩? 後輩?」と悩むことが増えていきました。
1点提案ですが、次回出場する時は、参加者の「卒業年度or生まれ年」「ポジション」「氏名」を書いた名札を作りましょう! レセプションに参加した際、秋田工業の皆さまの名札を見て「そうそう、これが欲しかったのよ」と思っていました。
当日はあいにくの天気でしたが、OB各位が本当に楽しそうにプレーされていて、皆さん心の底からラグビーを愛されているのがよく分かりました。またどなたもけがなく無事に終えることができ、本当に何よりでした。私はと言うと、マネージャーとは名ばかりで荷物番しかできず申し訳なかったです。
今回、聖地・花園の第1グラウンドに立たせていただく、という非常に貴重な経験を得ることができました。初めての花園の時はすでにマネージャーを引退していたので本当にうれしかったです。
グラウンドから見たスタンドの校旗や応援の方々の様子が忘れられません。またこの大会のおかげで久しぶりに同期マネージャー市村さんとの再会も出来てうれしかったです。本当にこんな素敵な機会をいただきありがとうございました。
個人的な話になりますが、中高一貫校に入学後半年でかなり重症の起立性調節障害になり、不登校になった息子(現高校1年)の転校について悩んでいた時期でもあったのですが、膳所OB・OGの皆さんから色々なアドバイスを受けるきっかけにもなりました。貴重な情報のお陰で新しい道を歩み始めることができています。
◆現役&未来のマネージャーへのメッセージ 「ランパスは私が一番上手」
中学時代陸上部で800mを走っていましたが、足を故障したため高校では陸上はしないつもりでした。中学の先輩からは「マネージャーでもいいから」と誘っていただきましたが、自分が走らないのに入部するのもなぁ、と思い、どうせ自分が選手にならないのなら、違うスポーツで、中学時代から好きだったラグビーのマネージャーになってみよう!という動機で入部しました。なぜか陸上部のメニューでランパスがあり、監督から「一番うまい」とほめられていたんです。
卒業後、ラグビーはテレビ観戦をする程度でしたが、毎年末に開催されていた忘年会にはちょくちょく参加していました。いつ行っても一瞬で高校時代の感覚になるのが面白いですね。
ZRFCで繋がっている同じ仲間なので何か安心します。年を取ってもこうやって繋がりが続くのが良さだと思います。
新入生の皆さん! 動機は何でもいいですよ! 選手でもマネージャーでもぜひ一歩踏み出して仲間になりませんか?
《OB有志》
以下、ZRFCを巣立った後もラグビーを永らく続けた先輩方から熱いメッセージです。
◆親子3世代でZRFC
昭和54(1979)年卒 船橋 寛明
※ZRFC→同志社大ラグビー部で大学選手権3連覇を経験
新入生のみなさん、入学おめでとうございます。
これからの高校生活に、希望に胸膨らませるとともに、勉学や生活などに不安や心配も多いと思います。でも、3年間は、あっという間に過ぎ去ります。充実した時間を過ごしていただきたいと思います。
現役のみなさんは日々、膳所高校ラグビー班(部)を盛り上げていただき感謝します。残りの高校生活を悔いなきよう満喫してください。
私は、1979年(昭和54年)3月卒業で、創部30周年をOBの皆さんにお祝いいただいた当時、キャプテンを務めた船橋寛明と申します。
皆さん、ラグビーと聞くと、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
いわゆる3K「きつい、汚い、危険」と思っておられるのではないでしょうか。確かに言い得て妙なところはありますが、それ以上に他のスポーツにはない魅力あふれるスポーツだと思っています。
私がラグビーを始めるきっかけは、父親が膳所でラグビーをしていたことから、中学生当時にラグビーをされていた方々から熱いお話を聞く機会があったからです。
ラグビー班は、1948年(昭和23年)に創部されました。終戦からわずか3年しか経っていない当時は食べる物はもちろん、道具やグラウンド、プレーする環境などあらゆるものが不足していた時代であったと先輩方に伺いました。そんな中においても、情熱をもってラグビーを愛し、勉学に勤しんだ先輩方が、なぜラグビーに魅了されたのかを知りたいと思うとともに、自ら体験したいという気持ちが大きくなりました。
中学生当時、受験できるラグビー部がある高校は、瀬田工業と膳所しかありませんでした。中学校での成績はそれほど優れたものではありませんでしたが、膳所に入ってラグビーをしたいという一心で勉強を頑張り、何とか合格し、入部しました。3年間、ラグビー漬けの日々を過ごした後は、大学、社会人とプレーし35歳で一線を退きました。
私は身長が160cmほどしかありません。ラグビーはどんな体形、どんな性格でも、いつから始めても、プレーできる極めて稀なスポーツだと思います。15人がそれぞれのポジション毎の役割を持って、手でボールを扱うことができるスポーツのため、それまでのスポーツ経験や技量などがなく、高校から始めても決して遅くありません。私も高校から始めましたが、仲間と県大会優勝や近畿大会出場、高校2年からは日本代表候補や関西代表などにも呼ばれ、同志社大学では3回日本一なるなど貴重な経験を味わいました。
また、息子も膳所でラグビーを始め、3年生の全国大会出場を賭けた秋の県大会で敗れましたが、仲間たちとラグビーを悔いなく楽しんだと思います。
ラグビー憲章で掲げる五つのコアバリュー『品位、情熱、結束、規律、尊重』は、ラグビー独自の特性と理念をプレー中でもプレー外でも守っていくための手引きです。
礼儀や節度をもって気高く落ち着き振る舞う「品位」、誰もが心の奥底に持っている熱い思いで困難に打ち勝つ「情熱」、生涯続く友情・仲間・チームワークで思いを一つにする「結束」、ルールだけでなく、人としての定め、集団の秩序で着実に実践・遂行する「規律」、そして、敵味方なく多様な価値観を理解し合う「尊重」――。これらを若い間にラグビーを通じて体感、経験することは、その後の人間形成や人生、社会人として日本の未来を背負うみなさんには大いに役立つと確信しています。ラグビーを通じて養われる人間力と意思疎通をするコミュニティー力、全てを許す抱擁力やみんなと目指す団結力など、勝つことだけでない、魅力あふれるスポーツだと思っています。
しんどいこともどろどろに汚れることも、痛いこともいっぱいあります。でも、勉学だけではなく、大切な仲間たちと過ごした年月は永遠に色あせることはありません。
高校生活を充実させたいのなら、ぜひ一度、ラグビーを体験してみませんか。必ず、その魅力に魅了されることでしょう。
◆非日常を共にした仲間は財産
昭和54(1979)年卒 中西 大輔
※ZRFC→滋賀県庁ラグビー部で岩出雅之・前帝京大ラグビー部監督と共にプレー
「ラグビー部」ってどんなイメージですか?
ワールドカップはじめ、テレビで見るラグビー選手は筋骨隆々のゴリマッチョばかりなので、なんとなく単細胞なマッチョ集団をイメージする人が多いんじゃないかな。
ところがですよ。身長161cm体重50kg、これが1976年(大昔ですね)、私が高校1年でラグビー部に入部したときのサイズです。女子の平均に近いサイズで、筋肉はほぼ皆無、しかも鈍足でした。
なぜそんな私がラグビーを始めたのかというと、中3の秋、テレビで大学ラグビーを見て「おぉっ!こんなスポーツがあるのかっ!」「何だこれは!あんなことして痛くないのか!」などと強烈に衝撃を受け、「これは絶対に自分で試してみたい!」と思い、たまたま新聞で膳所高校が県大会で優勝している記事を見つけ、そこから「膳所でラグビーをする」ことを目標に入学しました。
そして晴れて入部したのですが、入部した日に人生最大の過ちだったことに気づきました。「な、なんちゅうしんどいねん」「めっちゃ痛いやん」「あかんでこれは怪我するで」と・・・・・・。しかし時すでに遅し。「辞める」とも言い出せないまま、ただただ必死で練習について行くだけの日が続きました。
そして何か月か経って、ふと気づいたのです。「俺、結構やれてるんちゃうん?」「そんなに痛くなくなってるし」と。なんとか練習にもついていけるようになり、それなりにポジションも決まって、どんどんラグビーが面白くなっていきました。わかりやすいモチベーションの変化です。
何より、練習が終わったあと、仲間達と京阪膳所本町駅前の森商店(←今はありませんが)や美富士食堂で食べたり飲んだりしながらワイワイ話す時間が楽しくて仕方ありませんでした。
私たちのチームは、私だけでなくほとんどのメンバーが「針金」のような体型で、3年生になってもFWの平均体重が65kgと超軽量チームだったのですが、高校日本代表候補にもなったキャプテン船橋を中心によくまとまったチームで、3年生の春の県大会で優勝しました。その前の冬の大会では決勝で惜しくも負けて悔しい思いをしていましたし、当時、3年生は春の大会で引退して受験勉強に専念するのが慣例でしたから、最後に優勝できたことは格別な成功体験でした。こんな時間を仲間と共有できたことはホントに幸せだったなと思います。
その成功体験に味を占め、私はその後、30歳過ぎまで社会人でもラグビーを続け、その間に県社会人選抜チームのキャプテンを任されたりもしました。高校入学時161cm51kgだったサイズは、社会人では176cm70kgになっていましたが、それでもラグビー選手としては細くて軽い選手でした。
また、不思議な縁で、その社会人チームには高校時代のチームメイトが3人いて、同じチームで30歳過ぎまでプレーを続けることになりました。今、還暦を過ぎた年齢ですが、この3人だけでなく、当時のチームメイトとは今も当時のニックネームで呼び合う関係が続いています。
ラグビーは、日常生活ではまずあり得ない経験をします。赤の他人(チームメイトとは言え)のために、自分が怪我をするかもしれない、カラダを張ってあんなに痛いことをすることは日常生活の中ではまずありません。フツーは自分のためでもしたくもない(笑)。
だからこそ、その時間・経験を共有した仲間の信頼関係は格別ですし、また所属チームに関係なく、その同じ経験を知っている者同士は不思議な共感でつながりが生まれます。社会人になって仕事上のつきあいでも「ラグビーやってました」「え? 私もです」で、信頼関係づくりのハードルがグッと下がる経験を何度もしました。
もうひとつ、ラグビーは走りながら考えるスポーツです。試合中は常に動きながら、同じく動いている味方の立ち位置、敵の立ち位置、ボールの位置などを観察し、状況判断して味方とコミュニケーションし、その動き方を変えながらボールを運びます。監督やコーチの指示・命令で動くのではなく、試合中は常に自分たちで考え、判断してゲームメイクする、この習慣づけは社会人になってからも大いに役に立ちます。
そんな「非日常」を日常の中に生かす経験値が、高校の3年間、誰でも教室の外で得られる「オイシイ」部活がラグビー部です。辞めるのはいつでも辞められるけれど、始めなければ辞められもしません。ぜひやってみましょうね。
知らんけど。
◆ZRFCの仲間の輪に
昭和63(1988)年卒 住田 延明
※ZRFC花園初出場(1987)時ナンバー8→同志社大ラグビー部→六甲クラブでクラブラグビー日本一も経験
膳所高校新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
ラグビー班への入部ご検討に際して応援メッセージを寄せたいと思います。
ラグビーの楽しさ、良さはたくさんありますが、ユニークなのはグラウンド以外でも、プレーしていただけで友達の輪が広がっていくことです。
初対面でも、海外の人でもラグビーという共通の経験がとても近くしてくれます。現在海外在住で通算8年になりますが、ラグビーのおかげでたくさんの仲間や仕事ができました。
ラグビーは10歳で大津ラグビースクールで始めて、瀬田中、膳所高校、同志社大学で近畿大会、全国大会を経験し、社会人でもクラブラグビーで日本一になりましたが、その中でも膳所高校ラグビー班の3年間は私の原点です。
2時間程の集中した練習時間とは言え3年生の12月末までラグビーを続けたことで受験勉強との両立もあり、悩み苦しんだこともありましたが、僕たちの代で初めて全国大会、花園ラグビー場でプレーできました。高校野球で言えば甲子園にと同じく夢の舞台です。
約3年間の濃密な時間を過ごしたことにより素晴らしい仲間、恩師、先輩、後輩と、35年経った今でも繋がっているのも膳所高校ラグビー班の良さです。
膳所高校でぜひラグビーを選択、そしてプレーしてこの輪に加わってください。待ってます!
20221025【ラグビーマガジン2022年12月号掲載】ZRFCマスターズ出場記事(ZRFC1997卒・谷口誠)
※ラガーマンの永遠の必読バイブル「ラグビーマガジン」を皆さん、愛読しましょう!ラグビーマガジンさま、転載許諾をいただき、誠に有難うございます。
谷口誠さんは、元ジャパンの著名選手や関係者らからも「厳しくも愛のある」ラグビー記事が絶賛・信頼されている現役ラグビー記者です。
◆ラグビーは脳を鍛える ノーベル賞も取れる
平成9(1997)年卒 谷口 誠
高校生となった皆さん。新しい環境で何をしようと考えていますか?
勉強をしたい。友達と遊びたい。ゲームもしたい。部活動してる暇なんかないよ。そう考える人も多いと思います。
通学だけで時間がかかる人も多いでしょう。僕も片道1時間半かけて通っていたので、気持ちはよく分かります。
まして、痛くてしんどそうなラグビーなんか論外。そう感じるのも当然です。ただ、知っておいてほしいことがあります。
「ラグビーは脳を鍛える」ということです。
運動が脳にいい影響を与えることは、様々な研究で示されています。アメリカの医学者が書いた『脳を鍛えるには運動しかない』という本があります。運動中に体内でできるホルモンには脳の神経同士の結びつきを強くし、長期的な記憶力を高める効果があるそう。少し軽めの強度で行う「有酸素運動」には、記憶力を良くする細胞をつくる作用があるとも書かれています。
部活をしたら勉強時間が減るから意味がない。そう思う人も多いでしょう。しかし、人の行動は単純な算数では測れません。
ベネッセ教育総合研究所が、中学・高校生の生活状況を調べています。コロナ禍で部活が制限されました、代わりに増えたのはスマホやテレビなどを見ている時間だけ。勉強時間は変わりませんでした。
僕が膳所高生だったときも、勉強に専念しようと部活をやめる同級生がいました。でも、成績が上がった人の方が少なかった気がします。「最後まで部活をしていたら良かった」と今、後悔している友達もいます。
時間に余裕ができると、かえって勉強の「質」は上がりにくい。そういう場合もあります。
ラグビー日本代表として活躍した福岡堅樹さんを知っているでしょうか? 2019年に日本で開かれたワールドカップで俊足を生かしてトライを取りまくった人です。この大会の後に現役を引退し、順天堂大学の医学部に合格しました。
高校時代から文武両道で鳴らした福岡さんにとって、ラグビーと勉強を両立させるには「切り替え力」が重要だったそうです
著書などで、「効率を最大限にするために有効な手法が『切り替え』と『集中』」、「トレーニングを切り替えのタイミングとして生かせたのが大きいかもしれません」と語っています。ラグビーをすることがむしろ、勉強の集中力にもつながったそうです。
僕自身の経験からもそう思います。現役時代に受験に落ちて浪人しました。時間はたっぷりあったのに、逆に勉強に身が入らず、秋の模試は現役時代より成績が低下。最後に巻き返して合格できたのは、ラグビーで培った「切り替え力」が生きたのかも。今となってそう感じます。
「切り替え力」などの力は、「非認知能力」と呼ばれます。テストなどで測れる学力とは違うもので、コミュニケーション力や協調性、物事をやり抜く力などが挙げられます。何かの分野で結果を出すにはこうした能力が重要として最近、注目されています。
非認知能力を学べる場がスポーツであり、中でもラグビーでしょう。
ノーベル賞受賞者の山中伸弥さんという医学者がいます。再生医療を大きく発展させた、iPS細胞を見つけた人です。
研究は1人ではできない、いかに他の人と意思疎通をしながら進めるかが大事。そう語る山中さんは、大学時代のラグビー経験を踏まえてこう強調します。
「コミュニケーションはその機会を多く取ることも大切だけど、やろうと思わないといけない。(相手は)分かっているやろうけど言う、その辺がすごく大切。ラグビーはそういうことをすごく学ぶことができる」
ノーベル賞につながる研究成果を出す上で「ラグビー経験はものすごくありがたかった」そうです。
ラグビーは、野球の大谷翔平選手のように1人で試合を決めることはできません。監督の指示なしに、15人の選手が自分たちの判断でプレーをする。そのため、他の競技よりチームワークや自主性が問われます。コミュニケーション能力のような非認知能力を学べる効果は大きいと考えられます。
なぜラグビーをするといいのか。いくつか述べましたが、他にも理由があります。純粋に楽しいということです。
自分の頭で考え、相手と全力でぶつかり合う魅力、仲間との一体感は、他の競技にはちょっとないものだと思います。僕の場合、それが行き過ぎてラグビーやスポーツに関わるメディアの仕事をすることになってしまいましたが。
同級生に誘われ、膳所のグラウンドで楕円球に触れたことは、僕にとって人生で最大の出会いの一つでした。多くの先輩、後輩が同じように感じているでしょうし、これを読んでいるあなたもいずれ、そうなるかもしれません。
◆現役生に伝えたい〜ラグビーの競技性と社会有用性~
2003(平成15)年卒 小林(旧姓・林) 徹
※ZRFC花園3回目出場(2002)時ナンバー8→早稲田大ラグビー部→ホンダ・ヒートでZRFC初のトップリーグ(現リーグワン)選手として活躍
現役生はおそらく他の諸先輩方から熱い思いが入ったメッセージをもらっていると思います。よって、違う形のメッセージを送ります。
今回は「ラグビーが社会人として有益か?」について、私なりの見解を伝えたいと思います。
学生当時、いろんな人が有益だと叫んでいましたが、具体的にイメージが湧かなかったものです。誰も具体例を出してくれなかったんですよね……。仲間と得た青春は今でも心の支え→社会人でも活きる、みたいに。ラグビーじゃなくても青春できるだろって、高校生の時には心の中でツッコんでいました。
ラグビーの競技性と社会有用性について、大きく三つあると考えています。他のスポーツを否定するつもりはありません。ダメな先輩が偉そうにうんちくを語っている程度に思ってください。
①トップダウン型でなく、現場実行型
②最適解の選択
③責任と信頼 できないプレーを仲間に任せる
まずは①ですが、高度成長時代は社長のいうことを確実にこなす社員のニーズが高かったらしいです(NHKのドキュメンタリーでも言っていたので多分、合っているのでしょう)。いわゆる野球のように監督のサインを忠実に実行するプレーです。
一方で、現代社会は複雑になりすぎています。そもそも社長は末端の現場の詳細など分からないだろうし、自動車四輪担当の私が農機のことなど知るはずがない。そのように、よくわかっていない人間の指示や、いわゆる「常識」とされて来たものの中には、時代や社会の変化を経て的を外していることが実は多いのです。その際、何より求められているのは、そのフィールドごとに自分自身で状況を的確に判断し、達成のため要求されるものを自分自身で考え、それを達成することですね。
つまり、ラグビーの監督が方向性と基本的な原則を教えて、選手を試合に送り出したら、あとは見守るのみっていうのと同じですね。現役時代に共に花園3回目出場を果たしたU監督(現I高校監督)はカメラがないところではプレーごとに指示というか、8割はレフリーへのヤジでしたけれど、まあ我々の心の声を代弁してくれていたということで「良し」としましょう。
次に②についてです。例えば、あるフェイズでゲインを切るという場合、与えられる選択肢は多くあります。ヒット・ステップ・パス・キック、結果(ゲイン)にコミットすれば最適解は何を選んでも良いことになります。役職が上がれば上がるほど、命題のみ与えられ、リーダーとして最適解を導き出す必要があります。起業なら、自分に命題を課すことにもなりますね(偉そうに言っているけど、「お前の役職はどの程度だ? 雇われ社員のくせに」というツッコミはご容赦ください)。
最後に③ですが、体重がない選手が相手にヒットして打ち勝つことに全力を尽くすのではなく、チーム内のパワープレーヤーを信頼し、最高の状態でボールを渡すことが重要です。これは自社にできないことは他社に委託し、結果として成果を挙げる事例とも同義です。ただ、会社でも、すべてを他人に丸投げするだけなら、周囲から必要とされないものの、一芸以上のスキルを身につけることで他者との信頼関係を得られることが可能、そう表現するのが分かりやすいのかもしれません。
以上、私のメッセージが少しでも役立てば幸いです。
◇監督・コーチへのメッセージ 「上達の最短距離を見つけよ」
日々の業務でなかなかラグビーコーチとしてのスキルを上げていくことは難しいかもしれませんが、現在のITやネットが隆盛となった社会では、YouTubeで最先端のプレーや試合を視聴し理解し、チームで意思統一が図れれば、戦術理解、練習方法など、ほとんどのことは知ることも得ることもできます。できる限り協力しますので、選手の才能と我々のスキルを最大限伸ばしていきましょう。
楽な道はないが、最短距離はある――。これを胸に取り組みましょう。
(ラガーマンだった誇りを今も心身とも忘れずラグビー精神を伝え、楕円球の結ぶ交流やハートは、国境や言語などの壁を軽々と越えるーーコロナ禍にも負ケズ動じず、それを証明中だ????)
《おわりに〜編集後記》
1988 M.Y
マスターズ花園2022→2023への道
ご多忙の中、多くの感想文や現役・未来のZRFCへメッセージを届けていただき、マスターズ参加各位はじめOB有志の皆さま、深謝至極、ほんとうに有難うございました。
思案された末に感想文やメッセージの提出こそなかったものの、「????を通じていろんな人と巡り会え、それが仕事でもプライベートでもプラスになる。これが《楕円》が持つ《楕縁》だ」――そんな印象的で素敵な言葉を届けてくださったマスターズ参加OB(50歳代 H.Mさん)もおられました。
今回、同期の元持やマネージャー藤本さんらと当日は裏方全般担当として参加しましたが、個人的に思い返せば、昨年2022年7月23日がターニング・ポイントでした。
正直それまでは、同年6月中にマスターズ花園にエントリーしたものの、「費用面など困難山積でOB会からの支援も芳しくなく不透明、猛暑やコロナ禍で怪我人や家族の反対も受け、今後の辞退者も相次ぎ、最終的に出場するのは厳しくなるのでは・・・」との思いが去来していた。
前日7月22日、駐在先アメリカ・アラバマから一時帰国した2003卒・林徹君(上記)から連絡を受け京都で一献した際、翌23日午前に母校グラウンドで予定されていた現役チームの練習を「コーチしてもらえないか」と宴席で林君にお願いした。林君は快諾、当日あった配偶者家族との大切な行事合間を縫う様に、猛暑の中、後輩に手取り足取り汗だくになりハートのこもった指導をしてくれた。
ただ、当日は森祥太郎監督と3年生主将は滋賀選抜チームの練習に参加しており、母校グラウンドに集まったのは10人余だけ――。自分の現役時代は部員60人を超え、いつも底抜けの明るさがグラウンドに充満しているのが何よりラグビー班の特長だったが、昔より広々とした専用グラウンドに人数の少なさが際立ち、後輩の大人しさ静かさが気に懸った。
林君と共に母校グラウンドに足を運んだ自分は、ほぼほぼ現役チームの練習には当然ついて行けず、マネージャーや怪我で練習見学中の後輩部員と一緒に、すっかり癖になったマスク姿のまま見ていた際、一人が「ああ、コロナで奪われた高校生活や青春を返して欲しい。コロナで中止ばかりでコロナが憎い・・・」と溜息をつくよう吐露した。
母校グラウンドから見える美しい空や雲の下、いつしか後輩も目を輝かせて林君の指導を受け懸命に、そして伝統である底抜けの明るさも取り戻す様に楽しそうにプレーする姿が眩しく、「ああ、聖地・花園でオッサンが懸命に青春している姿を見たら、母校グラウンドで一緒に汗を流し練習したら、後輩もラグビーはいいな、やって良かったな、そう感じてくれるかも・・・」との想いが募った。
練習終了後、「10月に聖地・花園で開催されるマスターズ花園に、40歳以上のオッサンOBらが集結し、部員減で苦しむ現役チームを応援しようとエントリーしました。お互い一緒に頑張ろう」と宣言すると、ひと際の体躯と朴訥なプレーが目立った3年生副将(秋まで3人残った3年生のうちの一人)が一瞬、「信じられないな」という感じの何とも言えない笑みというかハニカミを浮かべ、しばしうつむき沈黙後、「今まで、やりたくても日頃できなかった15対15やスクラムなどの実戦練習を、膳所のグラウンドで先輩相手にやれると、本当にうれしいし助かり、励みになります」「先輩がここまで自分たちのことを想ってマスターズ花園に出てくれるのだから、人数は少ないけど現役の僕らも元気を出して団結し、秋の花園予選に向け頑張ろう」と、絞り出すような声で応えてくれた。
とはいえ、オッサンOBの「現実」を見据え、8月の猛暑下での練習は見送り、現役チームも菅平合宿などを敢行。オッサンOBは「オッサンのオッサンによるオッサン&後輩のためのラグビー」を目指し、何より負傷防止を心掛け本番まで地道にトレーニングを継続すべく、1990年卒の坂田貴宏さん(現セブンス日本代表S&Cコーチ)からマスターズに向けた怪我防止「坂田式トレーニング」メニュー↓を授かった。
9月から大会本番10月9日まで毎週末、母校グラウンドなどで現役チームとの合同練習やOBだけで練習することを、膳所高の校長・教頭からも「コロナ制限一切なし」との配慮・応援を拝受(今でもほんとうに感謝至極です)。参加各位、地道に「坂田式トレーニング」(マスターズに向け大会本番を含め深刻な負傷・怪我なく乗り切れたのは、マスターズに参加叶わなかったものの坂田さん尽力が非常に大きかったと、OB一同、坂田さんに多謝)などに励み、準備を積み重ねた。
9月からは毎週末、母校グラウンドにオッサンOBが参集。3日の初日、現役チームとのスクラム練習では、最前列に重量級をそろえるOBのプッシュに現役チームも苦渋の表情を浮かべ、「案外いけるんちゃう」という感じでオッサンOBが調子に乗る一幕もあったが、現役チーム&森祥太郎監督の要望・画策でいきなりキックオフを迎えた15対15の実戦練習では、肉離れや息切れで走れなくなるリタイヤ者も続出――。その一方で、現役チームには笑顔が、オッサンOBには何とも言えない爽快感も広がり、林徹さん同期2003卒SH永渕さんの愛情あふれた差し入れ「チオビタ・ドリンク」での“乾杯” (上記写真)は、忘れ難く格別な思い出となりました。
マスターズ花園試合後は、同期と徹夜でコロナビールも飲み干し夜明けを迎えた。《青春》できコロナを寄り切ったーーその想いにも包まれた。
(※マスターズ花園の練習・試合を通じコロナ感染も重篤負傷もゼロで乗り切れました!)
◆少年を大人に、大人を少年に
〜今秋はラグビーワールドカップ2023フランス大会、そしてマスターズ花園2023も始動????
話はガラリと遡るが、2002年12月末、林徹さん永渕さんらが花園3回目出場を果たした際、仕事の合間に花園へ応援に行け、下記の記事を書いた。その後、林徹さん母上が記事を読み丁寧に切り抜いて手紙と共に勤務先に送ってくださったのが、今も感慨深く記憶に刻まれている。
《2003年1月4日夕刊》
上記の記事にあるように、2002~2003年当時は聖地・花園ラグビー場が多額の運営赤字を抱え、存続の危機にあった。時が過ぎ、2019年ラグビー日本W杯の盛り上がりから一転、世界中に広がって長引くコロナ禍の影響余波をもろに受ける形で現在、部員減が深刻化し、ZRFCも「ここ20〜30年で最大のピンチ正念場」(ZRFC1期生91歳・貴田さん曰く)を迎えている情況だ…。
今回、集まった感想文やメッセージで、OB各位が一番多く引用していたのが、
「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人に永遠の少年の魂を抱かせる」
――という、元フランス代表主将で、現在は何と抽象画や彫刻などを手掛ける著名芸術家として活躍するジャン・ピエール・リーブ氏の言葉だ。上記の記事にも自分もかつて一部を引用し、今なお《至言》だと感じる。
個人的な話になるが、上記の記事にあるように、高校2年の試合で首を負傷し長期入院した際、元ラガーマンだった主治医が、リーブ氏が現役時代に血だらけになっても金髪を振り乱し大活躍する勇姿の写真を私に見せ、上記の《至言》を伝え、励ましてくれた。現役や新入生の皆さん「ジャン・ピエール・リーブ」で検索すると、その勇姿や今の活躍が画像なども確認できるので、是非ご覧ください。そして、大きな怪我をしてもZRFCでラグビーを続けたことに感謝こそすれ後悔したことは一度もないと、この場を借りて断言・強調いたします(※現役との合同練習などでも、怪我の経験や傷を説明すると部員減に響きそうに感じ控えました…)。
ZRFCマスターズ花園2022出場が決まった7月、かつてリーブ氏が主将を務めたフランス代表チームが来日し、日本代表チームと猛暑の中、2試合が行われ、日本代表はいずれも惜敗した。
自分が暮らす京都市左京区の京都大学吉田キャンパス至近に「在京都フランス総領事館」があり、マスターズ花園の母校グラウンド練習の際など、定期的に開催されている「マルシェ」に立ち寄って腹ごしらえするのが日課となり、その際、在京都のフランス人にラグビー好きが多いことに驚いた(※2019日本W杯の際は、在京都フランス人が経営するパン屋に在京都フランス人が集結し、ワインやシャンパン片手にフランス国歌も合唱するなどし、母国フランスチームを熱烈に応援したそう)。
マルシェで仲良くなり、昨年7月のフランスvs日本の試合を共にスポーツバー観戦もしたラグビーをこよなく愛する在京都フランス人の友人によると、かつてリーブ氏は、ラグビーで学んだこととして「敵対するのではなく、共に前進すること」とも語っていたのだという。また今年秋、マスターズ花園と同時期に開催されるラグビーワールドカップ2023フランス大会について、リーブ氏は「あなたにとって、ラグビーワールドカップは何を表していますか」と問われ、「ラグビーでは、私たちはお互いを知らなくてもお互いを認識しています。人生で最悪のことは一人でいること、孤独であることです」とSNS上で哲学的な返答をしている(上記友人に該当SNSを教えてもらい、自分もフランス語に堪能な同僚記者に確認してもらったところ、リーブ氏は確かにそう答えている)。
また、そのフランス人の友人から興味深い話を教えてもらった。ワインで杯傾けながら身振り手振りの“根性英会話”をお互い交えての会話だったので、自信に欠く部分もあるかもしれないが、次のような内容、意味合いだった(はず)。
「フランスの柔道人口、ラグビー人口とも、人口規模では上回る日本を遥かに凌駕している」という。ネット等で調べても簡単にヒットし確認できる。「なぜなんだろう?」と問うと、「柔道もラグビーも(3密極致)、接触や怪我のリスクや危険も他競技より多い。しかし、フランスの母親や父親がラグビーや柔道を息子に促すのは、礼節や規律、仲間や時には敵をも思い遣る気持ち、そして何より、楕円球が予測をしない転がり方をしたり、小さな選手が大きな選手を背負い投げで見事に一回転させたり、タックルし仲間のピンチを防いだり、いい意味、悪い意味でも《ひっくり返る》というか、予測のつかないのが常の人生(※敬愛する向田邦子なら《禍福は糾える縄の如し》、実に美しい日本語も話され尊敬している美輪明宏なら《正負の法則》と強調されるのだろう…)において、ピンチを乗り越えるのに必要なアドベンチャー、冒険心、挑戦を楽しむ精神や素養が育まれ、ラグビーを通じ、それらを享受できたり培ったりできる魅力やプラス面が、リスクや危険のマイナス面を遥かに超越すると考え尊重するからだと思う」――とのことだった。
その哲学的とも感じる論考・説明に、「全く哲学的でない突飛で情熱にあふれたテレビドラマ(スクール☆ウォーズ)を観て、自分の年代の多くがラグビーを始めました」と明かせなかったのは言うまでもない。
今回のマスターズ花園を通じ、ラグビー憲章「品位・情熱・結束・規律・尊重」の精神・姿勢の貴さを学び、楕円球の結ぶ交流やハートが、時間や世代、国境や言語の壁さえ軽々と越えることを、ZRFCのOB一同が実感できた。この場を借り改めて、ほんとうに深謝至極、有難うございました。
マスターズ花園2023の開催も決定( https://www.mbs.jp/rugby/masters/ )し、左記HPでは2022膳所チームの写真が冒頭で使われています!次回に向けてはOB会とも連携協力しつつ事務局の引き継ぎも済み鋭意準備を進めております。引き続きOB一同、2023ラグビーフランスW杯と同時期開催となるマスターズ花園2023に向け、ラグビー憲章「品位・情熱・結束・規律・尊重」の精神・姿勢で引き続きスクラムを組んでいきましょう。
◆現役・新入生の皆さん〜答えなき問題にタックル、共に《ひっくり返し》続けよう!
膳所高に入学し、相撲で例えるなら、これまでの人生は「十五勝全勝」に近い歩みだった方が多いのではないでしょうか。しかし、今回届いた「1977年卒 よーちん」さんの上記メッセージにあるように、「正解のない課題に答えを見つけるために、周りの人たちといっしょに時に苦しんで、みなが納得できる答えを見いだせる能力」が、先々の社会生活では問われます。
そう、君たちが得意な机上のテストや入試の問題作りで、作成者が最後までこだわるのは、答えが必ずあり二つはない、という点――テストや入試ではこの点が肝要ですが、社会に出て仕事を始めると「正解が一つ」ということは必ずしも多くないことを、身をもって味わうでしょう。大事なのは正解探しだけではなく、いかに問い、そして考え続けることができるか、「なぜ?」「ほんとうか?」と問いかけ続け、「ああでもない、こうでもない」と答えが中々見いだせない問いに対し、想像力を駆使し考え思案もし、そして周囲とのコミュニケーションを積み重ね関係を築きつつ、自分たちの「物語」を構築していくーーそういう局面がラグビーには沢山ほんとうに詰まっていて学ぶことが多い気がします。
加え、ラグビー憲章「品位・情熱・結束・規律・尊重」の精神・姿勢から、「知らなかった&出来なかった自分がいた」「かなわなかった自分がいた」と身をもって仲間や相手から知ることができ、それによって仲間や相手への慎みやリスペクトも出てくるようにも想います。
自分が上記記事の入院当時、元ラガーマン主治医にプレゼントされた愛読書に「うらおもて人生録」(今も新潮文庫にあり、今の膳所高生にも読んでほしい)という本があり、著者・色川武大(作家・伊集院静氏の恩師で別名・阿佐田哲也)氏は悩み多き青少年に向け、優しい眼差しをもって「人生は九勝六敗を狙え」と説いています。この至言も、挫折や失敗にめげず《ひっくり返り》を模索し続けるラグビーの競技・精神に相通じるものがあるような気がします。
皆さん、母校グラウンドで共に汗を流し《ひっくり返り》もエンジョイし、未来のZRFCへパスを繋いでいきましょう!
◆最後に
本年10月の次回マスターズ花園2023も、訳あって同期盟友の元持さんらと再び裏方スタッフとして傾注することになりそうで、上記の記事にある「夢」は今年も叶いそうにない・・・。残念さも募る一方、いつか同期1988卒のかけがえのない仲間、来年2024年に出場資格に達する2003卒・林徹さん永渕さんら後輩、リスペクトする多くの先輩方と一緒に聖地でプレーできるのではーーという夢も膨らむ。その日が実現することを、そして何よりZRFCの末永い発展存続を、「一少年」「一OB」として心から願っています。
完 FINE